top of page
清原夏野・葛井庭子
葛井庭子

【清原夏野】

生年月日:782年(延暦元年)〜837年11月12日(承和4年10月7日)

年齢:55歳

干支:壬戌年

星座:未詳

時代:奈良時代、平安時代

名前:清原夏野(キヨハラノナツノ)

 

関連氏族:皇族、三長氏、清原氏

 

父:小倉王(オグラオウ)

母:小野家主(オノヤヌシ)

妻:葛井庭子

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:奈良時代、平安時代

 

名前:葛井庭子(フジイノニワコ)

 

関連氏族:白猪氏、葛井氏

 

父:未詳

母:未詳

次男:清原滝雄(キヨハラノタキオ)

三男:清原沢雄(キヨハラノサワオ)

四男:清原秋雄(キヨハラノアキオ)

女子:清原春子(キヨハラノハルコ)

葛井氏は、百済系渡来人。

王辰爾で、味沙の子である胆津(いつ)が白猪屯倉(しらいのみやけ)の田部(たべ)の籍を検定した功績により白猪史の姓を賜った。養老四年(720年)、葛井連のを賜わる。

白猪氏・葛井連氏からは外交の任についた人物が多くみられ、一説に中国墓誌がみつかった井真成も白猪史姓であったという説がある。

白猪では井の字が無いが、出国時の養老元年(717年)の時点ですでに葛井連姓を賜っていたとか、養老元年に白猪で出国したが、天平五年(733年)の遣唐使からの地において葛井連への改姓の情報を聞き自らも改姓した、とする主張もある。

清原夏野.jpg
bottom of page