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【藤原村雄】

生年月日:?〜932年8月20日(承平2年7月15日)

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:平安時代

名前:藤原村雄(フジワラノムラオ)

関連氏族:中臣氏一門、藤原北家魚名流

父:藤原豊沢(フジワラノトヨサワ)

母:未詳 - 鳥取業俊の娘

妻:未詳 - 鹿島直行の娘

​妻:未詳

 

【妻:未詳】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:平安時代

関連氏族:皇族、桓武平氏高望王流国香流大掾氏庶家常陸吉田氏鹿島氏

父:鹿島直行(カシマナオユキ)

母:未詳

男子:藤原秀郷(フジワラノヒデサト)- 藤原北家魚名流秀郷流の祖

鹿島直行は大掾氏と記録が残っている。

鹿島氏は、鎮守府将軍平貞盛の甥維幹を祖とする常陸大掾七党の一流で、大掾繁幹の子吉田清幹の三男成幹が常陸国鹿島郡鹿島郷に土着して、鹿島の地頭となったことに始まる。成幹の子政幹は、はじめ宮本郷粟生に住み、のちに鹿島神宮の西方にある宮中の吉岡に城を築き、以後、戦国時代末期まで鹿島氏は吉岡城主として続いた。

●常陸大掾一族は平氏だが、清和源氏との関係が深く「前九年・後三年の役」には大掾致幹が、源頼義・源義家に属して出陣している。

●義家は致幹の娘を娶って女子をもうけ、義家の弟義光の長男義業は鹿島成幹の妹を室に迎えている。大掾一族は源氏と結びつくことで、開発領主としての地位を安泰させようとしたのであろう。

●養和元年(1181)、頼朝は鹿島神宮の神領中の非違を検断する鹿島総追捕使に政幹を任じ、平家追討戦における鹿島氏の勲功に報いている。以後、鹿島氏は鎌倉御家人に連なり、勢力を拡大していったのである。 

鹿島直行の娘

【妻:未詳】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:平安時代

父:未詳

母:未詳

男子:藤原宗郷(フジワラノムネサト)

男子:藤原高郷(フジワラノタカサト)

男子:藤原永郷(フジワラノナガサト)

男子:藤原興郷(フジワラノオキサト)

男子:藤原友郷(フジワラノトモサト)

男子:藤原時郷(フジワラノトキサト)

男子:藤原春郷(フジワラノサルサト)

女子:未詳 - 平 国香室

藤原宗郷
藤原高郷
藤原永郷
藤原興郷
藤原友郷
藤原時郷
藤原春郷
娘(平 国香室)
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