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12代目助川氏当主

【助川通高】

12代目藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流助川氏当主

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:室町時代(戦国時代)、​安土桃山時代、江戸時代

名前:助川通高(スケガワミチタカ)

   周防守通高(スオウノカミミチタカ)

関連氏族:中臣氏一門、藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流助川氏

父:助川通定(スケガワミチサダ)- 10代目藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流助川氏当主

母:​未詳

兄:助川右衛門(スケガワウエモン)- 11代目藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流助川氏当主

●久慈郡大門村の大門城に居城したが、慶長七年(1602)に廃城したと伝える。このとき、主君佐竹氏は常陸国を収公され、出羽秋田に遷されている。助川通高及びその兄・右衛門の子孫は佐竹家に仕えていて、「御家譜」の滑川条に見える。

●秀郷の玄孫である通延が太田郷の地頭に任ぜられ、太田城を築いて太田大夫と称する。

●その後、佐竹氏初代・佐竹昌義の久慈郡佐竹郷入部や、2代隆義の太田城接収に伴い旧領からの撤退を余儀なくされ、通延の孫の通盛は小野崎城を築いて小野崎を名乗り、通盛の子の通長の代より佐竹氏に臣従、以降佐竹氏の宿老となった。

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