top of page
姉埼神社
●景行天皇40年、倭 建命の御東征の時、走水の海(浦賀水道)で嵐に遭い、お妃の弟橘姫の犠牲によって無事上総の地に着かれた。この宮山台において、お妃を偲び、かつ舟軍の航行安全を祈願し、風神志那斗弁命を祀ったのが創始と伝えられる。
●その後、日本武尊の父である景行天皇がこの地を訪れられて日本武尊の霊を祀られ、さらにこの地を支配していた上海上国造が天児屋根命、塞三柱神、大雀命(16代仁徳天皇)を合祀されたといわれる。
●塞三柱神は、別名・八衢比古神(ヤチマタヒコノカミ)、八衢比売神(ヤチマタヒメノカミ)、来名戸祖神(クナトノサエノカミ)、久那斗之神(クナトノカミ)とある。
●衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)、八衢比古(ヤチマタヒコ)、八衢比売(ヤチマタヒメ)の3柱の神。
●『日本書紀』では、泉津平坂で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(フナドノカミ)、来名戸祖神(クナトノサエノカミ)が化生したとしている。『古事記』でも、上述のイザナギの禊の場面で、最初に投げた杖から衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)が化生している。八衢比古(ヤチマタヒコ)、八衢比売(ヤチマタヒメ)と同神であるとしている。
●ここで疑問なのは、なぜ、出雲国造の末裔が、出雲の神ではなく、天児屋根命を祀ったのか?
bottom of page