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大中臣輔親・蔵 命婦
30代目伊勢神宮祭主

【大中臣輔親】​

30代目伊勢神宮祭主:1001年2月3日(長保3年2月28日)〜1038年7月26日(長暦2年6月22日)

生年月日:954年(天暦8年)〜1038年7月26日(長暦2年6月22日)

干支:甲寅年

星座:未詳

時代:平安時代

 

名前:大中臣輔親(オオナカトミノスケチカ)

   四条(シジョウ)

   岩出(イワデ)

​関連氏族:中臣氏二門、大中臣氏

父:大中臣能宣(オオナカトミノヨシノブ)

母:未詳 - 藤原清兼の娘

●父・大中臣能宣と同じく中古三十六歌仙の一人。

●長元4年6月17日(1031年)、斎宮・嫥子女王が月次祭に奉仕中に神がかりの状態となり、神宮祭主大中臣輔親に託宣を下した。斎宮権頭藤原相通とその妻藤原小忌古曾の不正を糾弾し、また斎宮の冷遇は天皇の失政であると朝廷を非難した。斎王託宣事件という。

● 朝廷で対応が話し合われ、藤原実資は『小右記』に「斎王が託宣を告げるなどということは、前代未聞」と記している。藤原相通夫妻はそれぞれ流罪となった。

【妻:蔵命婦】​

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:平安時代

名前:蔵 命婦(クラノミョウブ)

関連氏族:東漢氏、蔵氏

父:未詳

母:未詳

男子:大中臣輔隆(オオナカトミノスケタカ)

女子:伊勢大輔(イセノタイフ / イセノオオスケ)- 高階成順室

女子:未詳 - 大中臣守孝室

●日本古代に朝鮮半島から渡来したもっとも古い中国系の帰化氏族。

●後漢霊帝の子孫といい,秦始皇帝の裔という秦氏とならび称せられる。

●東漢(倭漢・ヤマトアヤ)と西漢(河内漢・カワチアヤ)の両系にわかれ,その後に渡来した今来漢人(新漢人・イマキノアヤヒト)を加え,巨大な氏族として存続した。

●東漢は,大和国高市郡を中心に勢力をひろげ,7世紀までに,坂上・書(ふみ)・民・池辺・荒田井など多くの直(あたい)姓氏族にわかれ,天武天皇の八色の姓(やくさのかばね)において忌寸(いみき)姓に改められ,8~9世紀には,坂上氏を中心に政界に地歩を占め,宿禰(すくね)・大宿禰を賜る氏もあらわれた。

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