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山部小楯

山部小楯】​

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:古墳時代
治世:第22代・清寧天皇の御代

名前:山部小楯(ヤマベノオタテ)

   伊予来目部小楯(イヨノクメベノオダテ)

​関連氏族:天津神、久味国造、来目氏、久米氏、山部氏

父:忍毘登乃造 ※読み方未詳

母:未詳

弟:弟意孫 ※読み方未詳

●小楯は、大嘗祭の供奉料の新穀を徴収するため派遣された。『書紀』では赤石郡縮見屯倉(しじみ の みやけ)、『古事記』では志自牟(しじむ)、『風土記』では「志深(ししみ)の里」の、忍海部造細目(おしぬみべ の みやつこ ほそめ)の新室(にいむろ)の酒宴の席で、牛飼となって隠れていた市辺押磐皇子の遺子、億計・弘計両王を発見し、民衆を動員して仮宮を建てさせた上で、朝廷に報告した。清寧天皇は驚き、さらに非常に喜んだという。485年、小楯はその功で山官に任じられ、山部氏と連の姓を与えられた。そして「吉備臣」を副として「山守辺」を部民とした。

 

山部氏または 山守部氏は、朝廷直轄の山林の管理や産物を貢納する職業部(品部)。およびそれを管掌する氏族。

自営農民でありながら、時と場合に応じて、栗・竹・かつらなど、山林の所出物を貢献した。

地方では「山部首」、あるいは「山部直」・「山部公」により統轄され、中央の伴造は「山部連」が担当した。

天武天皇13年(684年)に八色の姓が制定されたことにより山部連は宿禰の姓を得ている

 

山部氏(山部連・山部宿禰)は、天神系氏族である久米氏の一族・久味国造の後裔で、職業部(cf. 部民制、品部)の一つである山部の伴造家とされる。また、天武天皇13年(684年)八色の姓の制定によって山部連から山部宿禰への改姓が行われている。[2]、赤人も宿禰姓を賜与されたことが『万葉集』の詞書から確認できる。

 

●久米氏は、久味国造で久味国(現・愛媛県松山市東部から東温市、久万高原町周辺、伊予)を支配した豪族。

応神朝に神皇産霊13世孫•伊與主命を国造に定めた。

大伯国造、天草国造、阿武国造、吉備中県国造、淡道国造と同族で、浮穴直なども氏姓を持っていた。

【妻:未詳】​

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:古墳時代
治世:第22代・清寧天皇の御代

父:未詳

母:未詳

​男子:山部歌子(ヤマベノウタコ)

男子:山部羽咋(ヤマベノハクイ)- 浮穴直の祖

山部小楯.png
山部
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