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彦狭島王
初代毛野国造

【彦狭島王】​

初代毛野国造

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:古墳時代、第11代・垂仁天皇、第12代・景行天皇の御代

名前:彦狭島王(ヒコサシマオウ)

関連氏族:皇族、毛野国造

父:八綱田(ヤツナタ

母:未詳

●毛野国は群馬県と栃木県あたり。第16代仁徳天皇朝〜第36代孝徳天皇朝にかけて、上毛野国(群馬県)と下毛野国(栃木県)に分裂した

●景行天皇の時代に国造が置かれたということは、景行天皇の時代に毛野国(群馬県と栃木県)が大和朝廷の支配下に入ったことを指すと考えられる。

●『日本書紀』景行天皇55年2月条によると、彦狭島王は東山道十五国都督に任じられたが、春日の穴咋邑に至り病死した。

東国の百姓はこれを悲しみ、その遺骸を盗み上野国(現・群馬県)に葬ったという。

【妻:未詳】​

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

父:未詳

母:未詳

男子:御諸別王(ミモロワケノミコ)- 2代目毛野国造

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