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【藤原麻呂】
初代藤原京家当主
生年月日:695年(持統天皇9年)〜737年8月17日(天平9年7月13日)
干支:乙未年
星座:未詳
時代:奈良時代
関連氏族:中臣氏一門、藤原京家
妻:未詳 - 当麻氏の娘
妻:未詳 - 稲葉気豆の娘
妻:未詳
●大伴坂上郎女も配偶者であったという説があるが、どうやら恋人までの関係だったようだ。
●麻呂が藤原四兄弟で一番年下だったこと、兄たちよりも子女の数が少なく早世者も多かったことに加え、唯一参議に昇った浜成が氷上川継の乱に連座して流罪になったことで、一族全体の政治生命が絶たれてしまったため、藤原四家の中で一番発展しなかった。
【妻:未詳】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:奈良時代
関連氏族:当麻氏
父:未詳 - 当麻氏
母:未詳
当麻氏
稲葉気豆の娘
【妻:因幡八上采女】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:奈良時代
関連氏族:稲葉国造
母:未詳
長男:藤原浜成(フジワラノハマナリ)- 2代目藤原京家当主
●個人名ではなく役職名。因幡国の八上郡の采女。という意味。
●因幡国(現・鳥取県東部)を支配した。
●成務天皇の御代に、彦坐王の子・彦多都彦命が因幡国造に任命されるのが始まり。
妻
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