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蘇我果安

【蘇我果安】

生年月日:?〜672年7月31日(天武天皇元年7月2日)

干支:未詳

星座:未詳

​時代:飛鳥時代

治世:第33代・推古天皇

   第34代・舒明天皇

   第35代・皇極天皇

   第36代・孝徳天皇

   第37代・斉明天皇

   第38代・天智天皇

   第39代・弘文天皇

   第40代・天武天皇

 

名前:蘇我果安(ソガノハタヤス)

 

関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏、蘇我倉氏

父:蘇我倉麻呂(ソガノクラマロ)

母:未詳

兄:蘇我倉山田石川麻呂(ソガノクラヤマダノイシカワマロ)

兄:蘇我連子(ソガノムラジコ)

兄:蘇我日向(ソガノヒムカ)

兄:蘇我赤兄(ソガノアカエ)

●671年2月19日(天智天皇10年1月5日)に、巨勢人、紀大人と共に御史大夫になった。同日に大友皇子(後の弘文天皇)が太政大臣、蘇我赤兄が左大臣、中臣金が右大臣に任命されており、御史大夫はこれに次ぐ重職であった。

●天武天皇元年(672年7月24日)6月24日に大海人皇子は反乱(壬申の乱)に踏みきり、美濃国の不破に兵を集めてそこに移った。この際、山部王、蘇我果安、巨勢比等(巨勢人)が、数万の兵力を率いて大海人皇子を討つべく不破に向けて進発した。しかし7月2日頃、犬上川の岸に陣を敷いたとき、山部王は果安と比等に殺害(理由は『日本書紀』に記されない)されたため、混乱のため進軍が滞った。果安は帰ってから首を刺して自殺した。なお、果安の子は乱の終結後に配流された。

●倉麻呂から始まる蘇我氏の系統は「蘇我倉氏」と呼ばれることがある。

【妻:未詳】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:飛鳥時代

治世:第33代・推古天皇

   第34代・舒明天皇

   第35代・皇極天皇

   第36代・孝徳天皇

   第37代・斉明天皇

   第38代・天智天皇

   第39代・弘文天皇

   第40代・天武天皇

父:未詳

母:未詳

子:未詳

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