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蘇我倉山田石川麻呂
初代右大臣
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【蘇我倉山田石川麻呂】​

​初代右大臣:645年7月12日(皇極天皇4年6月14日)〜649年5月11日(大化5年3月25日)

生年月日:?〜649年5月11日(大化5年3月25日)

干支:未詳

星座:未詳

​時代:飛鳥時代

治世:第33代・推古天皇

   第34代・舒明天皇

   第35代・皇極天皇

   第36代・孝徳天皇

   第37代・斉明天皇

   第38代・天智天皇

名前:蘇我倉山田石川麻呂(ソガノクラヤマダノイシカワマロ)

   蘇我倉山田麻呂(ソガノクラヤマダマロ)

   蘇我石川麻呂(ソガノイシカワマロ)

   倉山田臣(クラヤマダオミ)

   山田臣(ヤマダオミ)

   山田大臣(ヤマダオオオミ)

 

関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏、蘇我倉氏

父:蘇我倉麻呂(ソガノクラマロ)

母:未詳

弟:蘇我連子(ソガノムラジコ)

弟:蘇我日向(ソガノヒムカ)

弟:蘇我赤兄(ソガノアカエ)

弟:蘇我果安(ソガノハタヤス)

●『藤氏家伝』によると、「剛毅果敢にして、威望亦た高し」と評される傑物であったとされている。

●皇極天皇4年(645年)、中大兄皇子(後の天智天皇)が中臣鎌足と共謀して蘇我入鹿の誅殺を謀った際(乙巳の変)、共に計画に賛同した。これは、蝦夷から入鹿への大臣の継承を石川麻呂(蘇我倉氏)が快く思っていなかったからである。

●鎌足の案により、石川麻呂の長女を中大兄皇子にめあわせることになったが、契りのできた夜に、長女は一族の日向(身狭・身刺)に奪われてしまった。石川麻呂は憂え恐縮し、なすすべを知らなかったが、父の苦境を知った妹(遠智娘)がかわりに中大兄の妃となることで解決した。

●倉麻呂から始まる蘇我氏の系統は「蘇我倉氏」と呼ばれることがある。

【妻:未詳】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:飛鳥時代

治世:第33代・推古天皇

   第34代・舒明天皇

   第35代・皇極天皇

   第36代・孝徳天皇

   第37代・斉明天皇

   第38代・天智天皇

父:未詳

母:未詳

長男:蘇我興志(ソガノコゴシ)

次男:蘇我法師(ソガノホウシ)

三男:蘇我赤猪(ソガノアカイ)

女子:蘇我遠智娘(ソガノオチノイラツメ)- 第38代・天智天皇妃

女子:蘇我姪娘(ソガノメイノイラツメ)- 第38代・天智天皇妃

女子:蘇我乳娘(ソガノチノイラツメ)- 第36代・孝徳天皇妃

女子:未詳 - 蘇我日向妻

女子:未詳

女子:蘇我造媛(ソガノミヤツコヒメ)- 第38代・天智天皇妃

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