【寬仁親王】
初代寬仁親王家当主
生年月日:1915年(大正4年)12月2日〜2016年(平成28年)10月27日
年齢:満100歳
干支:乙卯年
星座:射手座
時代:大正時代、昭和時代、平成時代
関連氏族:皇族、持明院統、伏見宮、閑院宮、三笠宮、寬仁親王家
父:三笠宮崇仁親王(ミカサノミヤタカヒトシンノウ)- 初代三笠宮当主
姉:甯子内親王(ヤスコナイシンノウ)- 31代目近衛家当主・近衞忠煇夫人
弟:桂宮宜仁親王(カツラノミヤヨシヒトシンノウ)- 初代桂宮当主
妹:容子内親王(マサコナイシンノウ)- 16代目茶道裏千家家元代玄黙宗室夫人
弟:高円宮憲仁親王(タカマドノミヤノリヒトシンノウ)- 初代高円宮当主
●三笠宮崇仁親王第1皇子。
●三笠宮本家からは独立の生計を営んでおり寬仁親王が当主を務める「寬仁親王家」として他の宮家に准ずる扱いを受けていた。
●親王の薨去に伴い、当主不在の状態が続いていたが、2013年(平成25年)6月10日に宮内庁は、「薨去にさかのぼり、親王家を廃止する」と発表した。従来の慣例では、寬仁親王妃信子が当主を継承することになるが、長年別居が続いており、親王の薨去後も2人の娘たちと同居していなかった。寬仁親王邸の名称も、「三笠宮東邸」と改称された。
●信子妃との間には二女がいるが、男子はいない。上述の通り、当主寬仁親王の薨去を根拠に寬仁親王家は廃止され、寬仁親王妃信子並びに彬子女王、瑶子女王は三笠宮家の一員となっている。
【妃:麻生信子】
生年月日:1955年(昭和30年)4月9日〜
干支:乙未年
星座:牡羊座
時代:昭和時代、平成時代、令和時代
名前:麻生信子(アソウノブコ)
関連氏族:麻生氏
父:麻生太賀吉(アソウタカキチ)
母:吉田和子(ヨシダカズコ)- 45代目、48代目、49代目、50代目、51代目内閣総理大臣・吉田 茂の三女
兄:麻生太郎(アソウタロウ)- 92代目内閣総理大臣
兄:麻生次郎(アソウジロウ)
姉:麻生雪子(アソウユキコ)- 33代目相馬氏当主・相馬和胤夫人
姉:麻生旦子(アソウアキコ)- 荒船清彦駐スペイン大使夫人
兄:麻生 泰(アソウユタカ)
第1王女:彬子女王(アキコジョオウ)
第2王女:瑶子女王(ヨウコジョオウ)
●麻生氏の出自は多く、情報が少ないので麻生氏とだけ記す。また、一族がいる。
●下野国の名族である宇都宮氏の分流で、筑前国、豊前国に栄えた城井氏(豊前宇都宮氏)庶家麻生家がある。
●麻生信子は福岡県出身なので、関連性が高い。

