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6代目閑院宮当主

【閑院宮載仁親王】

世襲親王家・6代目閑院宮当主:1872年(明治5年)〜1945年(昭和20年)5月20日

生年月日:1865年11月10日(慶応元年9月22日)〜1945年(昭和20年)5月20日

年齢:満79歳

干支:乙丑年

星座:蠍座
時代:江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代

 

名前:閑院宮載仁親王(カンインノミヤコトヒトシンノウ)

   易宮(ヤスノミヤ)

 

関連氏族:皇族、持明院統、伏見宮、閑院宮


父:伏見宮邦家親王(フシミノミヤクニイエシンノウ)- 20代目、23代目伏見宮家当主

母:伊丹吉子(イタミヨシコ)

姉:村雲日栄(ムラクモニチエイ)- 九条尚忠のち九条幸経養女・瑞龍寺門跡

兄:北白川宮智成親王(キタシラカワノミヤサトナリシンノウ)- 初代北白川宮

姉:貴子女王(タカコジョオウ)- 松平忠敬伯爵室

姉:歓楽院(かんらくいん)- 夭折

姉:多明宮(タメイノミヤ)- 夭折

兄:清棲家教(キヨスイエノリ)- 初代清棲家当主

弟:東伏見宮依仁親王(ヒガシフシミノミヤヨリヒトシンノウ)- 初代東伏見宮当主

妹:万千宮(マチノミヤ)

●伏見宮邦家親王の第16王子。

●後継のいなくなった閑院宮の後を継ぎ6代目当主となる。

●閑院宮は、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に直仁親王(東山天皇第六皇子・中御門天皇弟)が創設した宮家。

●閑院宮の血統が徳仁たる現在の皇室まで皇統として続いており、仁孝から徳仁までの歴代天皇は全て1親等の直系子孫たる皇太子により皇位が継承され至る。

【妃:三条智恵子】

生年月日:1872年6月30日(明治5年5月25日)〜1947年(昭和22年)3月19日

干支:壬申年

星座:蟹座
時代:明治時代、大正時代、昭和時代

名前:三条智恵子(サンジョウチエコ)

   載仁親王妃智恵子(コトヒトシンノウヒチエコ)

 

関連氏族:中臣氏一門、藤原北家九条流閑院流嫡流三条家

父:三条実美(サンジョウサネトミ)- 31代目三条家当主

母:鷹司治子(タカツカサハルコ)

妹:三条美佐子(サンジョウミサイコ)- 毛利元昭侯爵夫人

弟:三条公美(サンジョウキンヨシ)

妹:三条章子(サンジョウアキコ)- 大谷光演伯爵夫人

妹:三条高子(サンジョウタカコ)- 平松時陽夫人

妹:三条篤子(サンジョウアツコ)- 高倉篤麿子爵夫人

弟:三条公輝(サンジョウキンテル)

妹:三条夏子(サンジョウナツコ)- 酒井忠興伯爵夫人

妹:三条末子(サンジョウスエコ)- 松永安彦夫人

弟:河鰭実英(カワバタサネヒデ)- 18代目河鰭家当主

第1王子:篤仁王(アツヒトオウ)- 早世

第1王女:恭子女王(ユキコジョオウ)- 子爵安藤信昭夫人

第2王女:茂子女王(シゲコジョオウ)- 侯爵黒田長礼夫人

第3王女:季子女王(スエコジョオウ)

第2王子:閑院宮春仁王(カンインノミヤハルヒトオウ)- 7代目閑院宮当主

第4王女:寛子女王(ヒロコジョオウ)

第5王女:華子女王(ハナコジョオウ)

●三条家(旧字体:三條)は、藤原北家閑院流の嫡流にあたる公家・華族である。

●公家としての家格は清華家、華族としての家格は公爵家。家紋は片喰に唐花。

●通字(とおりじ)は「公」と「実」を交互に用いる。
●閑院流は、藤原師輔の十男で閑院太政大臣と呼ばれた藤原公季を祖とし、白河院政および鳥羽院政期には上皇や天皇の外戚の地位をほぼ独占し、摂関家の弱体化の間隙を突いて廟堂に重きをなした。

●閑院流の嫡流である藤原公実の二男実行を祖とするのが三条家である。

●実行は八条とも称したが、子の公教、孫の実房が三条高倉に屋敷を構えたことから、三条の家号が定まった。

●この邸宅には待賢門院(後白河天皇国母)も住んでおり、後白河天皇はここで育った

三条智恵子
閑院宮載仁親王.jpg
HIH_Princess_Kan'in_Chieko.jpg
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