top of page

【藤原喜娘】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:奈良時代

名前:藤原喜娘(フジワラノキジョウ)

関連氏族:中臣氏一門、藤原北家

父:藤原清河(フジワラノキヨカワ)

母:未詳 - 唐の女性

●遣唐大師。

●母は唐の女性で藤原喜娘も唐で産まれた。

●父・清河は天平勝宝5年(753年)に日本への帰国の途に就くが、逆風に遭い唐南方の驩州(現在のベトナム北部)に漂着、天平宝字3年(759年)には日本から清河の帰国のために高元度を大使とする迎入唐使が来唐したが、行路の危険を理由に清河の帰国は唐が許可しなかった。同時期の唐国内の混乱、いわゆる安史の乱の影響であるとする説もある。清河の帰国は許されなかったが、高元度(高句麗王族系の渡来人)は唐の使節沈惟岳と共に帰国している。

宝亀9年(778年)喜娘は、この時の遣唐使に同行し、大使代行・小野石根、唐使・趙宝英、判官・大伴継人とともに第1船に乗り、日本を目指した。しかし、途中で風難に遭い、石根・趙宝英らは遭難した。喜娘は継人らとともに舳に乗り、肥前国天草郡の西仲嶋(現在の鹿児島県出水郡長島町)に漂流、ようやく来日を果たした。その後の消息は不明である。

bottom of page