【小貫頼寿】
14代目藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流小貫氏小貫次男家(金治家)庶家頼章家久保田小貫家当主
生年月日:1861年(文久元年7月12日)〜1924年(大正13年)6月29日
年齢:64歳
干支:辛酉年
星座:未詳
時代:江戸時代
関連氏族:中臣氏一門、藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流小貫氏小貫次男家(金治家)庶家頼章家久保田小貫家
父:小貫頼晟(オヌキヨリアキ)
母:未詳
●1602年(慶長7年)、主君・佐竹義重の秋田遷封に随行して仙北郡六郷に住したが、のちに久保田へ移り、久保田小貫家と名乗った。
●秀郷より20代目にあたる小野崎氏第13代当主小野崎通春の次男・通伯が常陸国久慈郡小貫村にあって小貫通伯を名乗った。
●秀郷の玄孫である通延が太田郷の地頭に任ぜられ、太田城を築いて太田大夫と称する。
●その後、佐竹氏初代・佐竹昌義の久慈郡佐竹郷入部や、2代隆義の太田城接収に伴い旧領からの撤退を余儀なくされ、通延の孫の通盛は小野崎城を築いて小野崎を名乗り、通盛の子の通長の代より佐竹氏に臣従、以降佐竹氏の宿老となった。
【妻:山崎フチ】
生年月日:1842年(天保12年)〜1907年(明治40年9月10日)
年齢:65歳
干支:壬寅年
星座:未詳
時代:江戸時代、明治時代
名前:山崎フチ(ヤマザキフチ)
関連氏族:山崎氏
父:未詳
母:未詳
男子:小貫太郎(オヌキタロウ)- 15代目藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流小貫氏小貫次男家(金治家)庶家頼章家久保田小貫家当主
男子:小貫正夫(オヌキマサオ)
男子:山崎徳也(ヤマザキトクナリ)- 山崎家を継ぐ
●山崎氏のルーツは宇多源氏佐々木氏の支流と伝わるが、その他にも多くの系譜が存在する。
●山崎フチの出自未詳なので、このサイトでは山崎氏とだけ記す。