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神谷秀範

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:安土桃山時代、江戸時

 

名前:神谷秀範(カミヤヒデノリ

   神谷新五郎秀範(カミヤシンゴロウヒデノリ)

 

関連氏族:神谷氏

 

父:未詳

母:未詳

 

●出自未詳。徳川の家臣に神谷姓が確認されるが、出身地は現在の愛知県。小貫氏は代々東北なので違うと考えらる。

 

 

【妻:未詳

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:安土桃山時代、江戸時代

関連氏族:中臣氏一門、藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流小貫氏小貫次男家(金治家)庶家頼章家

父:小貫甚七某(オヌキジンシチボウ)- 2代目藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流小貫氏小貫次男家(金治家)庶家頼章家当主

母:​未詳

兄:小貫政緒(オヌキマサオ)- 3代目藤原北家魚名流秀郷流太田氏小野崎氏嫡流山尾小野崎氏庶流小貫氏小貫次男家(金治家)庶家頼章家久保田小貫家当主

●1602年(慶長7年)、主君・佐竹義重の秋田遷封に随行して仙北郡六郷に住したが、のちに久保田へ移り、久保田小貫家と名乗った。

●秀郷より20代目にあたる小野崎氏第13代当主小野崎通春の次男・通伯が常陸国久慈郡小貫村にあって小貫通伯を名乗った。

●秀郷の玄孫である通延が太田郷の地頭に任ぜられ、太田城を築いて太田大夫と称する。

●その後、佐竹氏初代・佐竹昌義の久慈郡佐竹郷入部や、2代隆義の太田城接収に伴い旧領からの撤退を余儀なくされ、通延の孫の通盛は小野崎城を築いて小野崎を名乗り、通盛の子の通長の代より佐竹氏に臣従、以降佐竹氏の宿老となった。

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