神部根マロ
【神部根マロ】
9代目粟鹿神社祭主
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:飛鳥時代、奈良時代
治世:第37代・斉明天皇
第38代・天智天皇
第39代・弘文天皇
第40代・天武天皇
第41代・持統天皇
第42代・文武天皇
第43代・元明天皇
治めた土地:丹波国朝来郡粟鹿村(現・兵庫県朝来市山東町の南東部)
関連氏族:出雲族、大氏、神部氏、但馬国造
●新羅将軍
●神部氏は、『粟鹿大明神元記』に登場する、「神部」を氏の名とする氏族。姓は直。
●古墳時代から8世紀前半に勢力を持ち、代々粟鹿神社の祭主を務め、当主によっては但馬国造に任じられた豪族。
●祖先に大国主(饒速日)と太田田根子がいる。
●『粟鹿大明神元記』は、和銅元年(708年)に粟鹿神社祭主の神部直根麻呂が勘注上申した竪系図で、京都九条家の秘庫に蔵されていたものを、昭和30年に是澤恭三博士が発掘されたもので、現在宮内庁書陵部に保管されています。それによれば粟鹿神社の神主は、素戔鳴尊、大国主神の後裔である神部氏であり、三輪氏と同族で、古事記における出雲神の系譜を持つ。
さらに、『粟鹿大明神元記』の中に、「天美佐利命を祀り、氏と神職を定めるにあたって、大和国の大神神社の氏人(三輪氏)を派遣した。」とある。系譜を辿ると大田田根子の子孫。
●神部根マロと三輪根麻呂が同一人物と考えられているが、神部根マロの父・神部萬侶は粟鹿神社の祭主。三輪根麻呂の父・三輪色夫は法頭と、物部(神道)と蘇我(仏教)の対立が激しかったこの時代に、祭主と法頭が同一人物とは考えずらいので、ココでは別人とする。
●天智天皇2年(663年)3月新羅討伐の部隊として半島にわたり、 上毛野君稚子、巨勢神前臣訳語・阿倍引田臣比羅夫と共に、2万7千人の軍団を率いて、新羅を討ったとある。
●同年8月27日・28日に行われた白村江の戦いは、唐・新羅連合軍の圧勝で、日本・百済連合軍の完敗であった。ヤマト王権が擁立した百済王、余豊璋は高句麗へ逃亡し、百済復興計画は失敗に終わった。
●『粟鹿大明神元記』によれば、神部直根マロは、朝来郡国造・大九位の神部直万侶と神部直某の娘・秦女の間に生まれ、30歳の時に但馬国の人々を率いて新羅を攻め、斉明天皇によって朝来郡の大領に任じられたという。また、天智天皇の時、庚午年籍作成のための調査を命じられ、それに従ったという。