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藤原鎌足・阿倍小足媛
初代藤氏長者

【藤原鎌足】

​初代藤氏長者:669年11月13日(天智天皇8年10月15日)〜669年11月14日(天智天皇8年10月16日

生年月日:614年(推古天皇22年)〜669年11月14日(天智天皇8年10月16日

年齢:55歳

干支:甲戌年

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:藤原鎌足(フジワラノカマタリ)

   中臣鎌足(ナカトミノカマタリ)

   中臣鎌子(ナカトミノカマコ)

関連氏族:中臣氏一門、藤原氏


父:中臣御食子(ナカトミノミケコ)

母:大伴智仙娘(オオトモノチセンノイラツメ)

正妻:阿倍小足媛(アベノオタリシヒメ)

妻:鏡王女(カガミノオオキミ)

妻:車持与志古娘(クルマモチノヨシコノイラツメ)

妻:安見兒(ヤスミコ)

妻:未詳

●天智天皇から大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した。

【正妻:阿倍小足媛

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:​飛鳥時代

名前:阿倍小足媛(アベノオタリシヒメ)

関連氏族:皇族、阿部内氏、阿部氏

父:阿倍内麻呂(アベノウチマロ)

:未詳

長男:定恵(ジョウエ)

●孝徳天皇の妃。皇極3(644)年に軽皇子が宮を訪れた中臣鎌足を丁重に接待させたと『日本書紀』に記されている「寵妃阿倍氏」とは、幼い有間皇子と夫と暮らす小足媛のことと考えられている。
●鎌足を調べると
小足媛の名前が出てくるが、小足媛を調べると鎌足の名前は出てこない。孝徳天皇と鎌足の関係を考えると、小足媛は鎌足の妻だったのだろうか?定恵の母は小足媛なのだろうか?

​●神職を生業にしてきた中臣氏として、子・定恵が出家し仏教に傾倒したことは前代未聞の出来事だった。

藤原鎌足.jpg
阿倍小足媛
鏡王女

【正妻:鏡王女

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:​飛鳥時代

名前:鏡王女(カガミノオオキミ)

関連氏族:皇族

父:額田鏡王(ヌカタベノカガミノオオキミ)

母:未詳

妹:額田部姫王(ヌカタベノヒメノオオキミ)- 第40代・天武天皇妃

次男:藤原不比等(フジワラノフヒト)- 3代目藤氏長者

●はじめ天智天皇の妃だったが、後に藤原鎌足の正妻となる。

不比等の母は車持与志古娘という説や、鏡王女という説があるが、不比等の身分を考えた時、母親が皇族出身であるほうが納得しやすいので、このサイトでは、不比等の母を鏡王女にする。

車持与志古娘

【妻:車持与志古娘

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:​飛鳥時代

名前:車持与志古娘(クルマモチノヨシコノイラツメ)

関連氏族:皇族、毛野国造、上毛野国造、車持氏

父:車持与志古(クルマモチノヨシコ)

母:未詳

不比等の母は車持与志古娘という説や、鏡王女という説があるが、不比等の身分を考えた時、母親が皇族出身であるほうが納得しやすいので、このサイトでは、不比等の母を鏡王女にする。

●車持氏は、豊城入彦命の8世の子孫、射狭君の末裔で上毛野朝臣と同じ祖先である。

●雄略天皇の時に乗與を供進したことから、「車持公」の氏姓を賜ったとある。

車持与志古
安見兒

【妻:安見兒】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:​飛鳥時代

名前:安見兒(ヤスミコ

関連氏族:未詳

父:未詳

母:未詳

天智天皇の采女・安見兒を天智天皇から得たという喜びの詠が読まれている。

未詳

【妻:未詳】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:​飛鳥時代

父:未詳

母:未詳

 

女子:中臣氷上娘(ナカトミノヒカミノイラツメ)- 第40代・天武天皇夫人

女子:藤原五百重娘(フジワラノイオエノイラツメ)- 第40代・天武天皇妃後に不比等の妻になる

女子:中臣斗売娘(ナカトミノトメノイラツメ)- 中臣意美麻呂室

女子:中臣耳面刀自(ナカトミノミミモトジ)- 第39代・弘文天皇妃

●不比等の母が未詳という説があるが、このサイトでは鏡王女が不比等の母とする。

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