【蘇我蝦夷】
9代目大臣:626年(推古天皇34年)〜642年(皇極天皇元年)
生年月日:586年(用明天皇2年)〜645年7月11日(皇極天皇4年6月13日)
年齢:60歳
干支:丙午年
星座:未詳
時代:古墳時代、飛鳥時代
治世:第31代・用明天皇
第32代・崇峻天皇
第33代・推古天皇
第34代・舒明天皇
第35代・皇極天皇
名前:蘇我蝦夷(ソガノエミシ)
関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏
妻:未詳
●『紀氏家牒』によると、物部守屋の滅亡後に母・太媛の影響で石上神宮の神主家を下僕としたとされる。
●息子・入鹿に非公式に大臣を譲った。このサイトでは、次代を入鹿とする。
●645年7月10日(皇極4年6月12日)に天皇の御前で入鹿が暗殺されると、蝦夷の許に与する者が集まったが、翌日入鹿の屍を前にして、蝦夷は邸宅に火をかけ、自害した(乙巳の変)。享年60。なお、『日本書紀』によれば、『天皇記』はこの時に失われ『国記』は船恵尺が火中の邸宅から持ち出して、難を逃れた。後に中大兄皇子に献上されたとあるが、共に現存しない。
●645年大化の改新時に成立する氏制度が成立する前で、氏・カバネは未成立であるため、「蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる。
●“韓子”や“高麗”など、朝鮮半島と関係する文字が見える。祖先・武内宿禰は神功皇后が起こした朝鮮征伐に関わった中心人物でもあるので、朝鮮半島と関連性が考えられる。また、“高麗”を駒とし、馬子という名前。さらには、蘇我氏の本貫である、奈良県橿原市曽我にある南曽我遺跡からは、5世紀後半から末頃の馬墓が発見されており、韓子が騎馬戦で活躍した時期と時期が重なっているなど、馬との関係が強いことが伺える。
【妻:物部鎌姫】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:古墳時代、飛鳥時代
治世:第31代・用明天皇
第32代・崇峻天皇
第33代・推古天皇
第34代・舒明天皇
第35代・皇極天皇
物部鎌姬大刀自連公(モノノベノカマヒメノオオトジノムラジキミ)
物部鎌足姬大刀自連公(モノノベノカマタリヒメノオオトジノムラジキミ)
男子:蘇我入鹿(ソガノイルカ)