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【為平親王】

生年月日:952年(天暦6年)〜1010年12月15日(寛弘7年11月7日)

年齢:58歳

干支:壬子年

星座:未詳

時代:平安時代

名前:為平親王(タメヒラシンノウ)

関連氏族:皇族

父:村上天皇(ムラカミテンノウ)- 第62代天皇

母:藤原安子(フジワラノアンシ)

姉:承子内親王(ショウシナイシンノウ)

兄:冷泉天皇(レイゼイテンノウ)- 第63代天皇

妹:輔子内親王(ホシナイシンノウ)- 43代目伊勢神宮斎宮

妹:資子内親王(シシナイシンノウ)

弟:円融天皇(エンユウテンノウ)- 第64代天皇

​妻:未詳 - 源 高明の娘

​妻:未詳

 

●村上天皇の第4皇子。

●村上天皇は為平を寵愛し、その婚礼には自分が安子と婚礼した際の例にならって宮中の昭陽舎で実施させるなど、将来の皇位継承候補としての待遇を受けている。父は安子の実家である九条流(藤原師輔の一門)と賜姓皇族の筆頭である高明を為平の後見とすることで将来の安泰をはかったと考えられている。

●翌年、父が崩御すると、為平の同母兄である冷泉天皇が即位する。この天皇は、容姿は美しいが狂気のふるまいが見られたことから、藤原実頼が関白(准摂政)を務めたが、聡明な為平がその皇太弟になると予想された。高明は親王が即位することで外戚になれることからその立太子を期待したと考えられるが、実際には守平親王(後の円融天皇)が皇太弟となった。これには為平親王の外戚で既に一上の地位を得ていた高明がさらなる権力を得ることに対する藤原氏側の危惧があったといわれている。この時には安子や師輔三女(安子の同母妹・源高明正室)も死去しており、九条流も高明と為平親王排除へと態度を変えたと考えられる。

【妻:未詳】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:平安時代

関連氏族:皇族、醍醐源氏嫡流高明流西宮家

父:源 高明(ミナモトノタカアキラ)

母:未詳 - 藤原師輔の娘

兄弟:源 忠賢(ミナモトノタダカタ)

兄弟:源 惟賢(ミナモトノコレカタ)

兄弟:源 俊賢(ミナモトノトシカタ)

男子:源 憲定(ミナモトノノリサダ)

長女:婉子女王(エンシジョオウ)- 第65代花山天皇女御のちに藤原実資室

男子:源 頼定(ミナモトノヨリサダ)

男子:源 為定(ミナモトノタメサダ)

男子:源 顕定(ミナモトノアキサダ)

次女:未詳 - 具平親王妃

三女:恭子女王(キョウコジョオウ)- 47代目伊勢神宮斎宮

源高明の娘

【妻:未詳】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:平安時代

父:未詳

母:未詳

男子:源 教定(ミナモトノノリサダ)

男子:源 敦定(ミナモトノアツサダ)

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