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【藤原魚名】
11代目藤氏長者:778年(宝亀9年)〜782年(天応2年 or 延暦元年)
生年月日:721年(養老5年)〜783年8月27日(延暦2年7月25日)
年齢:63歳
干支:辛酉年
星座:未詳
時代:奈良時代
関連氏族:中臣氏一門、藤原北家魚名流
妻:未詳
【妻:未詳】
生年月日:未詳
年齢:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:奈良時代
関連氏族:中臣氏一門、藤原式家
母:未詳
兄弟:藤原綱手(フジワラノツナテ)
姉妹:未詳 - 藤原巨勢麻呂室
姉妹:未詳 - 藤原掃子(フジワラノソウシ)
姉妹:未詳 - 橘 奈良麻呂室
藤原宇合の娘
【妻:未詳】
生年月日:未詳
年齢:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:奈良時代
関連氏族:物部氏、津守氏
父:未詳
母:未詳
●津守氏は、古代以来の系譜を持ち、住吉大社(大阪府大阪市住吉区)の宮司を世襲した一族で、維新後には華族の男爵家にも列した
●天火明命の流れをくむ一族と伝えられる。『住吉大社神代記』によれば、垂仁天皇と景行天皇の頃には、意弥那宜多命の子の意富弥多足尼が活動していたという。
●摂津国住吉郡の豪族田蓑宿禰を祖とすると伝えられる。田蓑宿禰が「七道の浜」(大阪府堺市七道)(当時は住吉郡)において200年に新羅征伐から帰還した神功皇后を迎えた時、神功皇后が住吉三神の神功があったことから、田蓑宿禰に住吉三神を祀るように言われている。
●また大和平野への入口である淀川河口付近は早くから交通の要衝として栄えていたため、津(港)を守護する職務を大和朝廷より与えられており、津守の氏族名もそれに由来している。代々住吉神社に奉仕しつつ、海部を率いて航海術を掌握。津守氏を称したことが確認できるのは津守宿禰国磨の代からであり、彼は遣唐使の一員として渡海した。
津守氏
妻
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