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伊狭知
​初代胸刺国造
➡︎未詳

​【伊狭知】

​初代胸刺国造

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:古墳時代

治世:第13代・成務天皇

   第14代・仲哀天皇

   第15代・応神天皇

出身:武蔵国

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名前:伊狭知(イサチ)

   海上五十狭茅(イサチ)

   五十狭茅宿禰(イサチノスクネ)

   伊佐比宿禰(イサチノスクネ)

関連氏族:天津神、天孫族、出雲国造支流无邪志国造支流胸刺国造

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父:兄多毛比(エタケヒ)- 初代无邪志国造

母:未詳​​

兄弟:荒田比(アラタヒ)- 2代目无邪志国造

兄弟:大鹿国(オオカクニ)- 初代菊麻国造

兄弟:穴倭古(アナワコ)- 初代大島国造

兄弟:大八木足尼(オオヤキノスクネ)- 初代波伯国造

●第13代・成務天皇の御代に、胸刺国造に任命される。

『古事記』及び『日本書紀』において建部氏の祖である倉見別王と共に麛坂皇子、忍熊皇子側につき、神功皇后・応神天皇と戦った将軍である五十狭茅宿禰(いさちのすくね、伊佐比宿禰)として登場する。

●戦いに敗れた後、『古事記』では海上に出て忍熊王と共に歌を詠んだ海に入水したとあり、『日本書紀』では忍熊皇子と共に歌を詠み、瀬田の渡りに沈んだとされる。

●両書の記述から五十狭茅宿禰はこの時点で自決したものと見られるが、『日本書紀』神功皇后摂政紀では神功皇后の命令で稚日女尊を活田長狭国に祀ったとある。

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