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熊野大社

名称:熊野大社(クマノタイシャ)

別名:日本火出初之社(ヒノモトヒデゾメノヤシロ)

祭神:素戔嗚

所在地:島根県松江市八雲町熊野2451番

●火の発祥の神社として「日本火出初之社」とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。

●意宇六社の一つに数えられていて、出雲国造本来の奉斎社である。

伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(イザナギが可愛がる御子、神聖な熊野の神、クシミケヌノミコトという意味)で素戔嗚と同一神とする説と、第84代出雲国造である千家尊祐はこの古典解釈に否定的であり、「祭神はどこまでも熊野の大神であり、その御名をクシミケヌノミコトというとおり、穀物霊であったのである。」と語っている。

806年から906年の間に成立したとされる『先代旧事本紀』「神代本紀」にも「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、少なくとも平安初期にはすでに櫛御気野命が素戔嗚尊とは同一神と考えられていたことがわかる。

●民俗学者の谷川健一は、平安初期に現実の政治権力を完全に剥奪された出雲国造が、その宗教的権威を高めるために、櫛御気野命を素戔嗚に習合させたと推察している。

このサイトでは、櫛御気野の“櫛”は、配偶者である櫛名田比売の“櫛”と推定し素戔嗚と同一神であるとする。

●紀伊国の熊野三山(熊野国造奉斎社)も有名だが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。

●熊野大社の社伝では、出雲国熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。 さらに、和歌山県御坊市の熊野神社の伝記には「往古出雲民族が紀伊に植民する際にその祖神の分霊を出雲の熊野より紀伊の新熊野に勧請する途中、「当地に熊野神が一時留まりませる」ということが社由緒」となっていることを考えると、熊野本宮大社は出雲の熊野大社が元だが、現在の熊野本宮大社の宮司は出雲国造ではなく熊野国造であることから、どこかで別系統になっているのだろう。

●熊野大社の系図はあるが非公開となっている。

熊野大社の系図はあるが非公開となっていることから、歴代宮司もあきらかになっていないが、このサイトでは判明している人物を明記する。

千家達彦 熊野高裕​

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