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【三宅諦隆】

恩覚寺住職
生年月日:1836年(天保6年)〜1896年(明治29年)

干支:丙申年

星座:未詳

​年齢:60歳

時代:江戸時代、明治時代

治世:第120代・仁孝天皇

   第121代・孝明天皇

   第122代・明治天皇

名前:三宅諦隆(ミヤケタイリュウ)

 

関連氏族:三宅氏

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父:未詳

母:未詳

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​●西阿閉村(滋賀県長浜市高月町)の恩覚寺住職。

​●​令和の時代の恩覚寺住職住職も三宅正隆氏。

●三宅氏は、多くの系統があるも、​三宅諦隆の出自未詳の為、このサイトでは三宅氏とだけ記す。

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【妻:東野登佐】
生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​年齢:未詳

時代:江戸時代、明治時代

治世:第121代・孝明天皇

   第122代・明治天皇

名前:東野登佐(トウノトサ)

​   東野たづ(トウノタヅ)

 

関連氏族:皇族、清和源氏経基流河内源氏義光流佐竹氏庶流東野氏

父:東野圓澄(トウノエンチョウ)- 12代目円照寺住職

母:未詳

兄:東野円隆(トウノエンリュウ)- 13代目円照寺住職

姉:東野千代野(トウノチヨノ)- ​真宗大谷派西源寺住職・近角常随夫人

兄:東野惠誠(トウノケイセイ)- 14代目円照寺住職

兄:東野円竟(トウノエンキョウ)

兄:東野円寿(トウノエンジュ)- 今津の寺に養子として入寺​​​​

長男:三宅神開(ミヤケシンカイ)

次男:三宅諦忍(ミヤケタイニン)- 恩覚寺住職住職

​●真宗大谷派の寺院​へ嫁ぐも夫である住職は間も無く亡くなった。しかしこの時とさは腹に息子の環を宿していた。

●結局実家である円照寺へ帰る ことになった。その後とさは近くの西阿閉村の恩覚寺住職三宅諦隆との縁談がまとまり、息子 の環を同じ馬上にある真宗大谷派の寺院行信寺の丸山氏に養子として預け、明治10年に諦隆 に嫁いだ。
●東野氏は、東野左京家に伝わる「東野家来歴書」による室町時代(南北朝時代)の東野周防守行一を祖とする説と、東野太右衛門氏所蔵の系図による佐竹行重を祖とする説があるも、「東野家来歴書」には行一から数えて5代目にあたる人物として、行重という名前が記されており、東野太右衛門氏所蔵の系図にある佐竹行重と同一人物の可能性もあることから、東野氏は佐竹氏の庶流と考えられるので、このサイトでは清和源氏とする。

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