大田田根子
【太田田根子】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:弥生時代、古墳時代
治世:第9代・開化天皇
第10代・崇神天皇
関連氏族:出雲族、多氏、大氏、意富氏(すべてオウ氏と読む)
祀られている神社:大直禰古神社(大神神社摂社)
●神武天皇皇后・媛蹈鞴五十鈴媛の兄・賀茂別雷の曾孫。
●日本書紀によると、茅渟県陶邑(現・大阪府堺市東南部の陶器山からその西方にかけて)出身。ここには、古墳時代から平安時代にかけての須恵器の竈門跡・陶邑窯跡群がある。
●古事記によると、河内国美努村(現・大阪府八尾市上之島町南)出身とされる。
●第10代天皇・崇神天皇の御世に現れる。
●配偶者ははっきりしていないが、子とされる、“大鴨積” “大多彦命” “意富禰希毛知”の事績を考えると、崇神天皇の御世人物と考えられる。
●崇神天皇即位7年、「昔皇祖大いに聖業高く国は盛であったのに、朕の世になり災害が多い。その所以を亀卜にて見極めよう。」と詔して、神浅茅原に幸して八百万の神を集めて占った。すると倭迹迹日百襲姫命に大物主神が乗り移って自分を祀るよう託宣した。神の教えのままに祭祀を行ったが霊験がなかった。そこで天皇は沐浴斎戒して宮殿を中を清めて、「願わくば夢に教えて、神恩を示してほしい」と祈った。するとその夜の夢に一人の貴人が現れ自ら大物主神と称して「もし我が子の大田田根子を以って我を祭ればたちどころに平安となる。」と告げた。続いて倭迹速神浅茅原目妙姫・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君の三人がともに同じ夢を見て、大物主神と倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子と市磯長尾市にせよという神託を受けた。そこで大物主神の子とも子孫とも言われる大田田根子が探し出されて大物主神を祭る神主となった。三輪山を御神体とする大神神社の始まりである。市磯長尾市も倭大国魂神を祭る神主となった。すると疫病は終息して五穀豊穣となった。
●三輪君(みわのきみ)等の始祖、神君(みわのきみ)の祖、鴨君(かものきみ)の祖。
●後裔は摂津国神人(みわひと)、摂津国神直(みわのあたい)、大和国三歳祝(やまとみとしのはふり)。
【妻:出雲美氣姬】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:弥生時代、古墳時代
治世:第9代・開化天皇
第10代・崇神天皇
名前:出雲美氣姬(イズモノミケヒメ)
関連氏族:出雲族、西出雲王家、郷戸家、神門臣家
父:未詳 - 出雲神門臣
母:未詳
●出雲神門臣は、西出雲の王家。“神門”はカンドと読む。