【気比氏治】
生年月日:?〜1337年4月7日(建武4年 / 延元2年3月6日)
年齢:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:鎌倉時代、南北朝時代
名前:気比氏治(ケヒウジハル)
関連氏族:中臣氏二門、大中臣氏、気比氏
父:未詳
母:未詳
●鎌倉時代後期から南北朝時代の武士。
●気比氏は現在の福井県、越前国一宮・氣比神宮の大宮司を代々務めている氏族。
●越前国一宮・氣比神宮は、2000年余り続く由緒ある神社。
●上古代より伊奢沙別命をお祭りしている。伊奢沙別命は食の神様。北陸道総鎮守として仰がれた。
●702年(大宝2年)勅して当宮を修営し、仲哀天皇、神功皇后を合祀されて本宮となし、後に、日本武尊を東殿宮、応神天皇を総社宮、玉姫命を平殿宮、武内宿禰命を西殿宮に奉斎して「四社之宮」と称した。
●「姓氏家系大辞典」などによれば、大中臣氏の後裔とみえ、系図によって少なからず異同はあるものの、神祇伯大中臣意美麿がその祖とされている。
●鎌倉末期から南北朝期には、武士化していたようで、延元元年(1336)ときの大宮司・気比氏治は後醍醐天皇方に名を列ね、城を金ケ崎に築き社頭に義旗を掲げて、北陸における南朝勢力として活躍した。
●金ヶ崎城の戦いが勃発すると、金ヶ崎城は北朝側に兵糧攻めに遭い尊良親王、藤原行房、新田義顕、子の気比斎晴、義理の弟・瓜生 保、瓜生義鑑房、里見時成、里見義氏 、由良具滋、長浜顕寛、武田与一らと共に自害した。
●織田信長の祖先発祥の地で、信長も氏神として崇敬していた。
【妻:未詳】
生年月日:未詳
年齢:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:鎌倉時代、建武の新政、室町時代、南北朝時代
関連氏族:皇族、嵯峨源氏源融流箕田支流渡辺流瓜生氏
母:未詳
弟:瓜生義鑑房(ウリウギカンボウ)
弟:瓜生源琳(ウリウゲンリ)
弟:瓜生 重(ウリウシゲシ)
弟:瓜生 照(ウリウテラス)
男子:気比斎晴(ケヒナリハル)