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有間皇子

【有間皇子】

生年月日:640年(舒明天皇12年)〜658年12月11日(斉明天皇4年11月11日)

干支:庚子年

星座:未詳

​時代:飛鳥時代

治世:第36代・孝徳天皇

   第37代・斉明天皇

名前:有間皇子(アリマノミコ)

関連氏族:皇族

 

父:孝徳天皇(コウトクテンノウ)- 第36代天皇

母:阿部小足媛(アベノオタラシヒメ)

父・孝徳天皇の死後、有間皇子は政争に巻き込まれるのを避けるために心の病を装い、療養と称して牟婁の湯に赴いた。飛鳥に帰った後に病気が完治したことを斉明天皇に伝え、その土地の素晴らしさを話して聞かせたため、斉明天皇は紀の湯に行幸した。

●飛鳥に残っていた有間皇子に蘇我赤兄が近付き、斉明天皇中大兄皇子(後の天智天皇)の失政を指摘し、自分は皇子の味方であると告げた。皇子は喜び、斉明天皇中大兄皇子を打倒するという自らの意思を明らかにした。なお近年、有間皇子は母の小足媛の実家の阿部氏の水軍を頼りにし、天皇たちを急襲するつもりだったとする説が出ている。

●ところが蘇我赤兄中大兄皇子に密告したため、謀反計画は露見し(なお蘇我赤兄が有間皇子に近づいたのは、中大兄皇子の意を受けたものと考えられている)、有間皇子は守大石坂合部薬たちと捕らえられ、658年12月11日(斉明天皇4年11月11日)絞首刑になる。

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