top of page
葛城襲津彦

【葛城襲津彦】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:上古時代

名前:葛城襲津彦(カズラキノソツヒコ)

   葛城之曾都毘古(カズラキノソツヒコ)

   葛城長江曾都毘古(カズラキノナガエノソツヒコ)

   葛城長柄襲津彦宿禰(カズラキノナガエノソツヒコノスクネ)

   曾頭日古(ソツヒコ)

   曾豆比古(ソツヒコ)

   曾都比古(ソツヒコ)

   沙至比跪(サチヒコ)※百済紀に382年(壬午年)の人物として見え、襲津彦と比定されている。

   

関連氏族:皇族、葛城氏、

 

父:武内宿禰(タケウチノスクネ)

母:葛比売(カズラヒメ)

姉妹:葛城野伊呂売(カズラキノイロメ)- 第15代・応神天皇妃

葛城氏の祖

カバネは未成立であるため、「葛城」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる。

●対朝鮮外交で活躍し、百済紀に382年(壬午年)の人物として見え、襲津彦と比定されていることから実在性が高い。

●応神天皇16年8月条によると、葛城襲津彦が朝鮮から久しく戻らないため、天皇は新羅が妨げているとし、木菟宿禰と的戸田宿禰を精兵を従えて加羅に遣わした。木菟宿禰らが新羅の国境まで兵を進めると、新羅王は愕然として罪に服し、弓月君の民を率いて襲津彦と共に日本に来たという。弓月君は渡来系古代豪族・秦氏の祖とされているので、秦氏が渡来したのはこの時期と考えられる。

●仁徳天皇41年3月条では、天皇の命で百済に遣わされ、初めて国郡の境を分けて郷土の産物を記録した。その際、百済王同族の酒君に無礼があったので木菟宿禰が叱責すると、百済王はかしこまり、鉄鎖で酒君を縛り葛城襲津彦に従わせて日本に送ったという。

【妻:未詳】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:上古時代

父:未詳

母:未詳

男子:玉田宿禰(タマダノスクネ)

男子:葦田宿禰(アシダノスクネ)

男子:的戸田宿禰(イクハノトダノスクネ)

男子:腰裙宿禰(コシモノスクネ)

男子:未詳

六男:熊道宿禰(クマミチノスクネ)

女子:葛城磐之媛(カズラキイワノヒメ)- 第16代・仁徳天皇皇后

玉田宿禰
葦田宿禰
的戸田宿禰
腰裙宿禰
男子
熊道宿禰
bottom of page