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蘇我境部摩理勢
初代征新羅大将軍

【蘇我境部摩理勢】

初代征新羅大将軍:600年(推古天皇8年)〜?

生年月日:?〜628年(推古天皇36年9月)

干支:未詳

星座:未詳

​時代:飛鳥時代

治世:第33代・推古天皇の御代

名前:蘇我境部摩理勢(ソガノサカイベノマリセ)

   境部摩理勢(サカイベノマリセ)

   境部臣(サカイベノオミ)

関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏、境部氏

 

父:蘇我稲目(ソガノイナメ)​

母:未詳

姉:蘇我堅塩媛(ソガノキタシヒメ)- 第29代・欽明天皇妃

兄:蘇我馬子(ソガノウマコ)

姉:蘇我小姉君(ソガノオアネノキミ)- 第29代・欽明天皇妃

我石寸名(ソガノイシキナ)- 第31代・用明天皇妃

弟:蘇我小祚(ソガノオソ)- 岸田氏の祖、桜井臣の祖、小治田朝臣の祖

弟:田中刀名(タナカカタナ)

600年(推古天皇8年)、征新羅大将軍に任ぜられる。ただし、実際に赴任はしていない。

●兄・蘇我馬子と共に、推古天皇、聖徳太子を支え上宮王家との結びつきを強くする。摩理勢は馬子に殺害される。

●兄・蘇我馬子が亡くなると、馬子の子・蝦夷が馬子の後を継ぐと、皇位継承で対立。

●蝦夷は摩理勢を攻め、摩理勢は来目物部伊区比なる者に絞殺されたという。

●大化の改新時(645年)に成立する氏制度が成立する前で、カバネは未成立であるため、「蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる。

●“韓子”や“高麗”など、朝鮮半島と関係する文字が見える。祖先・武内宿禰は神功皇后が起こした朝鮮征伐に関わった中心人物でもあるので、朝鮮半島と関連性が考えられる。また、“高麗”を駒とし、馬子という名前。さらには、蘇我氏の本貫である、奈良県橿原市曽我にある南曽我遺跡からは、5世紀後半から末頃の馬墓が発見されており、韓子が騎馬戦で活躍した時期と時期が重なっているなど、馬との関係が強いことが伺える。

【妻:未詳】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:古墳時代、飛鳥時代

父:未詳

母:未詳

​男子:蘇我境部雄摩侶(ソガノサカイベノオマロ)- 5代目征新羅大将軍

​男子:蘇我境部毛津(ソガノサカイベノケツ)

​男子:蘇我境部阿椰(ソガノサカイベノアヤ)

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