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氷川神社
●社伝によると、第5代・孝昭天皇の御代“出雲肥河(斐伊川)の川上に鎮座する杵築大社(現・出雲大社)から分祀し、孝昭天皇3年4月”に創建という。
●斐伊神社(島根県雲南市)の古史伝によると、埼玉県の氷川神社は孝昭天皇5年に斐伊神社から分祀されたものとしている。
●しかし、杵築大社は斐伊川の川下にあり、斐伊神社は川上にあることから、杵築大社ではなく斐伊神社からの分祠と考える方が自然だろう。
●その後、出雲国造の血を引く兄多毛比が第13代・成務天皇に武蔵国造に任命され、一族を引き連れ現・さいたまへ移住。祖神である素戔嗚を氏神として氷川神社を奉崇した。
●氷川の由来は、出雲国にある斐伊川が由来。
●氷川の意味は、“霊験あらたかな川”という意味。
●氷川神社の摂社に「門客人神社」がある(現在も氷川神社社殿の東隣に鎮座)。元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として祀られている。このアラハバキ社は氷川神社の地主神である。現在祀られている出雲系の神は、武蔵国造一族とともにこの地に乗り込んできたもので、先住の神がアラハバキとみられる。
●景行天皇の皇子・日本武尊が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになったという伝説が残されている。このことから本地域を「足立」と称するようになったとされる。
●武蔵国の隣国である相武国の氏神として創祀されたと考えられる寒川神社。初代相武国造は、兄多毛比の弟・弟武彦。“寒川”の意味は清らかな川。
●現在、関東地区に多くの分祠がある。
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