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寒川神社
●古代より相模川より東部一帯に勢力を誇った相武国造がおり、相武国造の氏神として創祀されたと推定される。
●寒川神社の近隣に、初代相武国造の弟武彦命が埋葬されたと伝わる大神塚古墳がある。
●大神塚古墳(前方後円墳)は、4世紀後半から5世紀前半の築造されたと考えられる。
●“寒川”の意味は“清らかな川”
●隣国である武蔵国にある武蔵国一宮・氷川神社。初代武蔵国造は、弟武彦の兄・兄多毛比。“氷川”の意味は、霊験あらたかな川。
●武蔵国一宮・氷川神社と相武国一宮・寒川神社の関係性を考えた場合、寒川比古と寒川比女は、素戔嗚と稲田姫となる。
●伊勢神宮内宮の末社・牟弥乃神社に寒川比古と寒川比女が祀られいて、大水上神の御子とある。大水上神は大山祇と同一神とされ、稲田姫の祖父で、素戔嗚の義理の祖父なので、やはり寒川比古と寒川比女は、素戔嗚と稲田姫となる。
●寒川神社には、「宮下文書が保管されていた」と記されていることから、宮下文書が発見された小室浅間神社の宮司・宮下家との関係を調べなくてはならない。
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