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【石上乙麻呂】
生年月日:?〜750年10月5日(天平勝宝2年9月1日)
干支:未詳
星座:未詳
時代:飛鳥時代、奈良時代
治世:第45代・聖武天皇の御代
関連氏族:物部氏、石上氏
母:未詳
妹:石川国咸大刀自(イシカワノクニミナノオオトジ)- 藤原宇合室
●石上氏は、686年(朱鳥元年)までに物部氏から改めた石上氏(いそのかみうじ)が本宗家の地位を得た。
●大和国山辺郡石上郷付近を本拠にしていた集団と見られている。
●724年(神亀元年)聖武天皇の大嘗祭が行われた際には、兄弟と見られる石上勝男・石上乙麻呂・石上諸男や榎井大島らと内物部を率いて神楯を斎宮の南北二門に立てる。この儀式は物部系の職掌であり、父・麻呂も持統4年(690年)に神楯を立てている。
●739年3月に故藤原宇合の妻で女官であった久米若売との姦通の罪を問われて土佐国への流罪に処せられてしまう(若売は下総国に配流)。この事件について、当時太政官を主導していた橘諸兄による、政権に批判的な藤原式家閥の有力者である乙麻呂(乙麻呂は藤原宇合の義兄弟にあたる)を参議に登用させないための策謀とする見方がある。
●石上麻呂は朝臣の姓が与えられて、708年(和銅元年)に左大臣。その死にあたっては廃朝の上、従一位の位階を贈られた。息子の石上乙麻呂は孝謙天皇の時代に中納言、乙麻呂の息子の石上宅嗣は桓武天皇の時代に大納言にまで昇った。
また宅嗣は文人として淡海三船と並び称され、日本初の公開図書館・芸亭を創設した。
●石上氏は宅嗣の死後公卿を出すことはなく、9世紀前半以降中央貴族としては衰退した。
【妻:未詳】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:飛鳥時代、奈良時代
父:未詳
母:未詳
妻