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竹田皇子

【竹田皇子】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:飛鳥時代

治世:第30代・敏達天皇

   第31代・用明天皇

   第32代・崇峻天皇

   第33代・推古天皇

   第34代・舒明天皇

名前:竹田皇子(タケダノミコ)

   竹田王(タケダノミコ)

   小貝王(コガイノミコ)

関連氏族:皇族

 

父:敏達天皇(ビダツテンノウ)

母:推古天皇(スイコテンノウ)

姉:菟道貝蛸皇女(ウジノカイタコノヒメミコ)- 聖徳太子妃

妹:小墾田皇女(オハリタノヒメミコ)- 押坂彦人大兄皇子妃

弟:葛城皇子(カズラキノミコ)

妹:鸕鶿守皇女(ウモリノヒメミコ)

弟:​​尾張皇子(オワリノミコ)

妹:田眼皇女(タメノヒメミコ)- 第34代・舒明天皇妃

妹:桜井弓張皇女(サクライノユミハリノヒメミコ)- 押坂彦人大兄皇子妃、死没後に来目皇子妃

●当時勢力を拡大していた蘇我氏にとって、蘇我稲目の孫にあたる炊屋姫(推古天皇)から生まれた竹田皇子が即位すると蘇我氏の権勢を増大させるのに有利に運ぶことから、早くから皇位継承の有力候補と目されていた。敏達天皇崩御時には皇子は幼少であった事や異母兄である押坂彦人大兄皇子を擁立する動きもあったため、即位が見送られ敏達天皇の皇兄弟の橘豊日尊が即位する。これが用明天皇だが、天皇は即位後わずか2年で崩御してしまう。

第31代・用明天皇の崩御後、押坂彦人大兄皇子と共に有力皇位継承権者であったが、叔父の穴穂部皇子を推す勢力から敵視され、用明天皇2年(587年)にはその一派である中臣勝海に像を作り呪詛されている。

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