【紀 角宿禰】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:古墳時代
治世:神功皇后
第15代・応神天皇
関連氏族:皇族、紀氏、紀伊氏
母:未詳
兄:蘇賀石河宿禰(ソガノイシカワノスクネ)- 蘇我氏の祖
●宿禰は尊称。
●氏・カバネは未成立であるため、「紀氏、紀伊氏」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる。
●対朝鮮外交で活躍した。
●『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、羽田矢代宿禰・紀角宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。これは日本の歴史が持つ謎を紐解く一つでもある。日本の起源をBC660年に定めた場合の応神天皇3年は272年になるが、百済の辰斯王が殺されたのは392年となり、応神天皇3年=392年と定められ、日本建国年を考えるヒントになる。
●応神天皇16年8月条によると、葛城襲津彦が朝鮮から久しく戻らないため、天皇は新羅が妨げているとし、木菟宿禰と的戸田宿禰を精兵を従えて加羅に遣わした。木菟宿禰らが新羅の国境まで兵を進めると、新羅王は愕然として罪に服し、弓月君の民を率いて襲津彦と共に日本に来たという。弓月君は渡来系古代豪族・秦氏の祖とされているので、秦氏が渡来したのはこの時期と考えられる。
●仁徳天皇41年3月条では、天皇の命で百済に遣わされ、初めて国郡の境を分けて郷土の産物を記録した。その際、百済王同族の酒君に無礼があったので木菟宿禰が叱責すると、百済王はかしこまり、鉄鎖で酒君を縛り葛城襲津彦に従わせて日本に送ったという
【妻:未詳】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:古墳時代
治世:神功皇后
第15代・応神天皇
父:未詳
母:未詳
男子:紀 田鳥(キノタトリ)
男子:紀 遠耶(キノトオヤ)
男子:紀 真利(キノマリ)