【平群木菟宿禰】
生年月日:神功皇后摂政57年〜?
干支:未詳
星座:未詳
時代:古墳時代
治世:神功皇后
第15代・応神天皇
関連氏族:皇族、平群氏
母:未詳
兄:蘇賀石河宿禰(ソガノイシカワノスクネ)- 蘇我氏の祖
●武内宿禰第4子。宿禰は尊称。
●氏・カバネは未成立であるため、「平群氏」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる。
●『日本書紀』仁徳天皇元年正月条によれば、大鷦鷯尊(仁徳天皇)と木菟宿禰とは同日に生まれたという。その際、応神の子の産殿には木菟(つく:ミミズク)が、武内宿禰の子の産屋には鷦鷯(さざき:ミソサザイ)がそれぞれ飛び込んだので、その鳥の名を交換して各々の子に名付けたという。仁徳天皇が生まれたのは、神功皇后摂政57年である。
●『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、羽田矢代宿禰は紀角宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。これは日本の歴史が持つ謎を紐解く一つでもある。日本の起源をBC660年に定めた場合の応神天皇3年は272年になるが、百済の辰斯王が殺されたのは392年となり、応神天皇3年=392年と定められ、日本建国年を考えるヒントになる。
●応神天皇16年8月条によると、葛城襲津彦が朝鮮から久しく戻らないため、天皇は新羅が妨げているとし、木菟宿禰と的戸田宿禰を精兵を従えて加羅に遣わした。木菟宿禰らが新羅の国境まで兵を進めると、新羅王は愕然として罪に服し、弓月君の民を率いて襲津彦と共に日本に来たという。弓月君は渡来系古代豪族・秦氏の祖とされているので、秦氏が渡来したのはこの時期と考えられる。
●履中天皇即位前条では、住吉仲皇子(履中の弟)が太子(履中)に対して反乱を起こした際、物部大前宿禰・阿知使主とともに太子に啓したが信じなかったため、3人で太子を馬に乗せて逃げたという。
【妻:未詳】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:古墳時代
治世:神功皇后
第15代・応神天皇
関連氏族:額田首
父:未詳
母:未詳
長男:平群真鳥(ヘグリノマトリ)
次男:額田早良宿禰(ヌカタノサラノスクネ)