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蘇賀石河宿禰

【蘇賀石河宿禰】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:古墳時代

治世:神功皇后

   第15代・応神天皇

名前:蘇賀石河宿禰(ソガノイシカワノスクネ)

   蘇我石川(ソガノイシカワ)

   石川宿禰(イシカワノスクネ)

関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏

 

父:武内宿禰(タケウチノスクネ)

母:未詳

兄:羽田矢代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)- 波多氏の祖

兄:許勢小柄宿禰(コセノオカラノスクネ)巨勢氏の祖

弟:平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)- 平群氏の祖

弟:紀角宿禰(キノツノノスクネ)- 紀氏、紀伊氏の祖

妹:久米能摩伊刀比売(クメマイトヒメ)

妹:怒能伊呂比売(ノノイロヒメ)

弟:若子宿禰(ワクゴノスクネ)- 江沼氏、榎氏の祖

蘇我氏の祖

●武内宿禰第3子。宿禰は尊称。

●大化の改新時(645年)に成立する氏制度が成立する前で、カバネは未成立であるため、「蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる。

●子孫に“韓子”や“高麗”など、朝鮮半島と関係する文字が見える。祖父・武内宿禰は神功皇后が起こした朝鮮征伐に関わった中心人物でもあるので、朝鮮半島と関連性が考えられる。また、“高麗”を駒とし、馬子という名前。さらには、蘇我氏の本貫である、奈良県橿原市曽我にある南曽我遺跡からは、5世紀後半から末頃の馬墓が発見されており、韓子が騎馬戦で活躍した時期と時期が重なっているなど、馬との関係が強いことが伺える。

●『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、羽田矢代宿禰・紀角宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。これは日本の歴史が持つ謎を紐解く一つでもある。日本の起源をBC660年に定めた場合の応神天皇3年は272年になるが、百済の辰斯王が殺されたのは392年となり、応神天皇3年=392年と定められ、日本建国年を考えるヒントになる。

【妻:未詳】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:古墳時代

治世:神功皇后

   第15代・応神天皇

父:未詳

母:未詳

男子:蘇我満智(ソガノマチ)

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