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羽田矢代宿禰

【羽田矢代宿禰】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:古墳時代

治世:神功皇后

   第15代・応神天皇

名前:羽田矢代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)

   波多八代宿禰(ハタノヤシロノスクネ)

   波多矢代(ハタノヤシロ)

   八多八代(ハタノヤシロ)

   八太屋代(ハタノヤシロ)

関連氏族:皇族、波多氏、羽田氏

 

父:武内宿禰(タケウチノスクネ)

母:未詳

弟:許勢小柄宿禰(コセノオカラノスクネ)- 巨勢氏の祖

弟:蘇賀石河宿禰(ソガノイシカワノスクネ)- 蘇我氏の祖

弟:平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ)- 平群氏の祖

弟:紀角宿禰(キノツノノスクネ)- 紀氏、紀伊氏の祖

妹:久米能摩伊刀比売(クメマイトヒメ)

妹:怒能伊呂比売(ノノイロヒメ)

弟:若子宿禰(ワクゴノスクネ)- 江沼氏、榎氏の祖

●竹内宿禰の第1子

波多氏の祖

カバネは未成立であるため、「波多氏、羽田氏」というウジ名のような冠称は記紀編纂時の氏姓制度の知識に基づいて付されたものになる。

●『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、羽田矢代宿禰は紀角宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。これは日本の歴史が持つ謎を紐解く一つでもある。日本の起源をBC660年に定めた場合の応神天皇3年は272年になるが、百済の辰斯王が殺されたのは392年となり、応神天皇3年=392年と定められ、日本建国年を考えるヒントになる。

●また同書履中天皇即位前条では、履中が皇太子の時に羽田矢代宿禰の娘の黒媛を妃にしようとしたが、住吉仲皇子が不倫を働いたため、履中は皇子を討ったという記録があり、娘・黒媛は履中朝の時代を生きたことがわかる。すなわち、羽田矢代宿禰は、少なくとも応神朝の時代の人物と言うことがわかる。

 

【妻:未詳】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

​時代:古墳時代

治世:神功皇后

   第15代・応神天皇

父:未詳

母:未詳

女子:黒媛(クロヒメ)

​●娘・黒媛は葛城襲津彦の孫とする説もあるが、それぞれの経歴が違うので、このサイトでは、両方存在することとする。

●波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君ら諸氏族の祖とする。

黒媛
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