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【高松宮宣仁親王】

初代高松宮当主:1913年(大正2年)7月6日〜1987年(昭和62年)2月3日

生年月日:1905年(明治38年)1月3日〜1987年(昭和62年)2月3日

年齢:満82歳

干支:乙巳年

星座:山羊座
時代:明治時代、大正時代、昭和時代

 

名前:高松宮宣仁親王(タカマツノミヤノブヒトシンノウ)

   光宮(テルノミヤ)

 

関連氏族:皇族、持明院統、伏見宮、閑院宮、高松宮

父:大正天皇(タイショウテンノウ)- 第123代天皇

母:貞明皇后(テイメイコウゴウ)

兄:昭和天皇(ショウワテンノウ)- 第124代天皇

兄:秩父宮雍仁親王(チチブノミヤヤスヒトシンノウ)- 初代秩父宮当主

弟:三笠宮崇仁親王(ミカサノミヤタカヒトシンノウ)- 初代三笠宮当主

​●大正天皇第3皇子。

●「高松宮」の号は、有栖川宮の旧称であり、同宮の初代とされる好仁親王(後陽成天皇の第7皇子、寛永15年薨去)が「高松宮」を称していた。

●有栖川宮の最後の当主威仁親王が、嗣子栽仁王に先立たれたまま1913年(大正2年)に薨去したが、大正天皇の特旨により、第3皇子宣仁親王(当時8歳)が有栖川宮の祭祀を継承した。

●旧皇室典範では皇族の養子縁組が禁じられていたため、宣仁親王は有栖川宮そのものを相続するのではなく新たな宮家を創設したうえで、有栖川宮の祭祀や土地などの財産、そして一部の旧臣(家来)を継承するという形がとられ、宮号には有栖川宮にゆかりの「高松宮」が与えられた。

●妻・喜久子の母が有栖川宮最後の当主・有栖川宮威仁親王の娘である。

●喜久子妃との間には子はなく、2004年(平成16年)12月18日薨去によって廃絶。

【妃:徳川喜久子】

生年月日:1911年(明治44年)12月26日〜2004年(平成16年)12月18日

年齢:満92歳

干支:辛亥年

星座:山羊座

​時代:明治時代、大正時代、昭和時代、平成時代

 

名前:徳川喜久子(トクガワキクコ)

 

関連氏族:皇族、清和源氏河内源氏系義国流新田氏庶家得川家松平氏徳川別家

父:徳川慶久(トクガワヨシヒサ)- 2代目徳川別家当主

母:實枝子女王(ミキコジョオウ)- 10代目有栖川宮当主・有栖川宮威仁親王の娘

姉:徳川慶子(トクガワヨシコ)- 夭折

弟:徳川慶光(トクガワヨシミツ)- 3代目徳川慶喜家当主

妹:徳川喜佐子(トクガワキサコ)- 16代目越後高田藩榊原家当主・榊原政春子爵夫人

妹:徳川久美子(トクガワクミコ)- 前夫:松平康愛 / 後夫:井手次郎

徳川喜久子
高松宮宣仁親王.jpg
宣仁親王妃喜久子.jpg
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