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第81代天皇

【安徳天皇】

第81代天皇:1180年3月18日(治承4年2月21日)〜1185年4月25日(寿永4年3月24日)

生年月日:1178年12月22日(治承2年11月12日)〜1185年4月25日(寿永4年3月24日)

年齢:7歳

干支:戊戌年

星座:山羊座

元号:治承、養和、寿永、元暦

時代:平安時代

 

名前:安徳天皇(アントクテンノウ)

   言仁親王(トキヒトシンノウ)

 

関連氏族:皇族


父:高倉天皇(タカクラテンノウ)- 第80代天皇

母:平 徳子(タイラノトクシ)

●生後まもない12月15日に立太子。

●治承4年(1180年)2月21日に数え年3歳(満1歳2か月)で践祚し、4月22日に即位する。
●寿永2年(1183年)、源義仲の入京に伴い、平宗盛以下平家一門に連れられ三種の神器とともに都落ちする。

●この後、寿永2年8月20日(1183年9月8日)に三種の神器が無いまま後鳥羽天皇が践祚し、元暦元年(1184年)7月28日に即位。

●正史上初めて同時に2人の天皇が擁立されることになった。このため、以降2年間、二人の天皇が並立する事態となっている。
●源頼朝が派遣した鎌倉源氏軍(源範頼、源義経)によって、平氏は一ノ谷の戦いと屋島の戦いに敗北。特に屋島合戦(1185年2月)の敗北により、天皇と平家一門は海上へ逃れる。そして寿永4年(1185年)4月、最期の決戦である壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が激突。平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至る[2]。この際に安徳天皇は入水し、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した。母の建礼門院(平 徳子)も入水するが、源氏方将兵に熊手で髪をかけられ引き上げられている。この際、三種の神器のうち神璽と神鏡は源氏軍が確保した。

安徳天皇.jpg
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