【聖徳太子】
生年月日:574年2月7日(敏達天皇3年1月1日)〜622年4月8日(推古天皇30年2月22日)
年齢:48歳
干支:甲午年
星座:水瓶座
時代:飛鳥時代
時代:飛鳥時代
治世:第30代・敏達天皇
第31代・用明天皇
第32代・崇峻天皇
第33代・推古天皇
第34代・舒明天皇
厩戸豊聰耳聖徳法王(ウマヤトノトヨサトノミミショウトクホウオウ)
関連氏族:皇族、上宮王家
●第31代・用明天皇第2皇子
●聖徳太子を中心に、兄弟・妻など一族を上宮王家という。
●「聖徳太子」という呼称は後世の尊称ないし諡号。また、厩戸皇子、厩戸王など本名は厩戸と言われることも多いが、あくまでも第二次世界大戦後に推定された名が広まったものであり、古代の文献には見られないので、実在を疑う説もあるが、このサイトでは実在したとする。
●叔母の推古天皇の下、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど中国大陸を当時統治していた隋から進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。このほか仏教を厚く信仰して興隆に努め、後世には聖徳太子自体が日本の仏教で尊崇の対象となり、太子信仰と呼ばれた。
【妃:菟道貝蛸皇女】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:飛鳥時代
治世:第30代・敏達天皇
第31代・用明天皇
第32代・崇峻天皇
第33代・推古天皇
第34代・舒明天皇
関連氏族:皇族、上宮王家
皇子:竹田皇子(タケダノミコ)
皇女:小墾田皇女(オハリタノヒメミコ)- 押坂彦人大兄皇子妃
皇子:葛城王(カズラキノミコ)
皇子:尾張皇子(オワリノミコ)
皇女:桜井弓張皇女(サクライノユミハリノヒメミコ)- 押坂彦人大兄皇子妃、死没後、来目皇子妃。
●聖徳太子の従兄妹。結婚後まものく逝去された思われる。
【妃:橘大郎女】
生年月日:未詳
干支:未詳
星座:未詳
時代:飛鳥時代
治世:第30代・敏達天皇
第31代・用明天皇
第32代・崇峻天皇
第33代・推古天皇
第34代・舒明天皇
関連氏族:皇族、上宮王家
父:尾張皇子(オワリノミコ)
母:未詳
●622年に聖徳太子が薨去すると、橘大郎女は推古天皇に願い出て、釆女に天寿国曼荼羅繡帳(天寿国繡帳とも言う)を作らせた。これは、聖徳太子の死を悼んで、死後に行ったとされる天寿国の様子を描かせたものと言われる。現存する日本最古の刺繡で、国宝に指定されている。

