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第76代天皇

【近衛天皇】

第76代天皇:1142年1月5日(永治元年12月7日)〜1155年8月22日(久寿2年7月23日)

生年月日:1139年6月16日(保延5年5月18日)〜1155年8月22日(久寿2年7月23日)

年齢:16歳

干支:己未年

星座:双子座

元号:永治、康治、天養、久安、仁平、久寿

時代:平安時代

陵墓:安楽寿院

名前:近衛天皇(コノエテンノウ)

   躰仁親王(ナリヒトシンノウ)

   近衛院(コノエイン)


父:鳥羽天皇(トバテンノウ)

母:藤原得子(フジワラトクシ / ナリコ)- 藤原北家魚名流末茂流

姉:叡子内親王(エコナイシンノウ)

姉:暲子内親王(ショウコナイシンノウ / アキコ)

妹:姝子内親王(シュシナイシンノウ / ヨシコ)- 二条天皇中宮

皇后:徳大寺多子(トクダイジノマサルコ)- 藤原北家閑院流徳大寺家

中宮:藤原呈子(フジワラノテイシ / シメコ)- 藤原北家中御門流

●わずか3歳(満2歳5か月)で崇徳天皇の譲位を受けて即位した。在位中は鳥羽法皇が院政を敷いた。
●仁平3年(1153年)、15歳の近衛天皇はこの頃から著しく病気がちであり、同年には一時失明の危機に陥り、譲位の意思を関白・忠通に告げたという(『台記』仁平3年9月23日条)。ところが、当時は近衛天皇に面会できたのは忠通らごくわずかで面会が出来なかった鳥羽法皇は忠通が嘘をついていると考えていた。病弱な上に17歳で早世したため結局、皇子女は生まれなかった。

 

 


 

【皇后:徳大寺多子】

生年月日:1140年(保延6年)〜1202年1月19日(建仁元年12月24日)

年齢:62歳

干支:庚申年

星座:未詳

時代:平安時代

名前:徳大寺多子(トクダイジノマサルコ)

   藤原多子(フジワラノマサルコ)

   二代の后(ニダイノキサキ)

​関連氏族:中臣氏一門、藤原北家嫡流冬嗣流長良流九条系閑院流徳大寺家

父:徳大寺公能(トクダイジキンヨシ)

母:藤原豪子(フジワラヒデコ)

姉:徳大寺忻子(トクダイジキンシ)- 後白河天皇中宮

姉:坊門殿(ボウモンドノ)- 後白河天皇宮人

兄:徳大寺実定(トクダイジサネサダ)

弟:徳大寺実家(トクダイジサネイエ)

弟:徳大寺実守(トクダイジサネモリ)

弟:徳大寺公衡(トクダイジキンヒラ)- 実兄の実守の養子になる

●近衛天皇の皇后。次いで二条天皇の后となり「二代の后」と呼ばれた。

●令和現在においても最後の太皇太后である。
●徳大寺家(正字体:德大寺)は、日本の公家・華族。藤原氏北家閑院流の流れを汲み三条家や西園寺家とは姉妹家。公家としての家格は清華家、明治以降は華族として徳大寺実則が侯爵を授けられ、後にその功により公爵に陞爵した。
●家祖の左大臣徳大寺実能は、閑院流の流祖である太政大臣藤原公季の五世孫・権大納言藤原公実の四男で、平安時代末期に崇徳・後白河両帝の国母となった待賢門院の同母兄にあたる。

藤原多子
近衛天皇.jpg
藤原呈子

【中宮:藤原呈子】

生年月日:1131年(天承元年)〜1176年10月23日(安元2年9月19日)

年齢:45歳

干支:辛亥年

星座:未詳

時代:平安時代

​名前:藤原呈子(フジワラノテイシ / シメコ)

   九条院(クジョウイン)

  

関連氏族:中臣氏一門、藤原北家嫡流冬嗣流長良流九条系御堂流中御門流

父:藤原伊通(フジワラノコレミチ)- 24代目人臣太政大臣

母:藤原立子(フジワラノタツコ)

兄:藤原伊実(フジワラノコレザネ)

 

●中御門流は、藤原北家の流れを汲む公卿の一門。御堂流摂政藤原道長の子・右大臣頼宗の子孫。

●松木家(中御門家)を宗家とする。

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