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出雲大社

名称:出雲大社(イヅモオオヤシロ / イヅモタイシャ)

別名:天日隅宮(日本書紀)

   天日栖宮(出雲国風土記)

   杵築宮(釈日本紀)

   杵築大社(延喜式)

   杵築大神宮(和漢三才図会)

​   大社杵築大神宮(国花万葉記)

   出雲宮(八雲御抄)

   厳神之宮・いつかしのかみのみや(日本書紀)

   出雲大神宮(日本書紀)

   所造天下大神宮(出雲国風土記)

   出雲国大社(享保集成総論)

   日本大社(真言宗正林寺蔵版木)

   出雲石(石同)之曽宮(古事記)

祭神:大国主

所在地:島根県出雲市大社町杵築東195

●古代より杵築大社(きずきたいしゃ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。

●出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある(前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。

●出雲氏の場合は「いずも」となる。

●出雲大社はいわゆる神話における国譲りの事情のもとで創建された神社である。

●創建以来、天照大御神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきたとされるが、本来出雲国造家は東出雲の熊野大社の社家であった。

●867年(貞観9年)には正二位に叙せられ熊野大社とは別に出雲国一宮と称せられるようになった。逆に言えば、それまで出雲一宮は出雲国造本来の奉斎社である熊野大社であった。

●中世には12郷7浦を領したが、豊臣秀吉により減じられ5郷2浦となった。

●1871年(明治4年)に官幣大社に列格の後、大正時代に勅祭社となった。

「現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている」ともされるが、次の通り天皇の出雲大社親拝の記録がある。

  • 1947年(昭和22年)11月30日、昭和天皇の戦後巡幸

  • 1965年(昭和40年)5月1日、天皇(昭和天皇)・皇后(香淳皇后)出雲大社親拝

  • 2003年(平成15年)10月3日、天皇(明仁上皇)・皇后(美智子上皇后)出雲大社親拝

​【出雲大社宮司】

●出雲大社は、国譲りに応じた大国主神を祀るため、天日隅宮(=出雲大社)の祭祀を担った天穂日を出雲国造の始祖、その子神の武夷鳥を第2代とし、現代まで天穂日の子孫が宮司を務める。

天穂日から一子相伝だったが、北島家と別れてから、千家家が出雲大社宮司を務める。

初代・天穂日 2代・武夷鳥 3代・伊佐我 4代・津狭 5代・櫛瓺前 6代・櫛月 7代・櫛瓺鳥海 8代・櫛田 9代・知理 

 

10代・世毛呂須 11代・阿多 12代・宇迦都久怒 13代・襲髄 14代・来日田維穂 15代・三島足奴 16代・淤宇宿禰 

 

17代・出雲宮向 18代・出雲布奈 19代・出雲布禰 20代・出雲意波久 21代・出雲美許 22代・出雲叡屋 23代・出雲帯許 

 

24代・出雲果安 25代・出雲広嶋 26代・出雲弟山 27代・出雲益方 28代・出雲国上 29代・出雲国成 30代・出雲人長

 

31代・出雲千国 32代・出雲兼連 33代・出雲旅人 34代・出雲豊持 35代・出雲時信 36代・出雲常助 37代・出雲氏弘 

 

38代・出雲春年 39代・出雲吉忠 40代・出雲国明 41代・出雲国経 42代・出雲頼兼 43代・出雲宗房 44代・出雲兼宗 

 

45代・出雲兼忠 46代・出雲兼経 47代・出雲宗孝 48代・出雲孝房 49代・出雲孝綱 50代・出雲政孝 51代・出雲義孝 

 

52代・出雲泰孝 53代・出雲孝時 54代・出雲清孝 55代・千家孝宗 56代・千家直国 57代・千家高国 58代・千家持国 

 

59代・千家直信 60代・千家高俊 61代・千家豊俊 62代・千家高勝 63代・千家直勝 64代・千家慶勝 65代・千家義広 

 

66代・千家元勝 67代・千家尊能 68代・千家尊光 69代・千家尊房 70代・千家直治 71代・千家宗敏 72代・千家広満 

 

73代・千家豊昌 74代・千家豊実 75代・千家俊勝 76代・千家俊秀 77代・千家尊之 78代・千家尊孫 79代・千家尊澄 

 

80代・千家尊福 81代・千家尊紀 82代・千家尊統 83代・千家尊祀 84代・千家尊祐 

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