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第38代天皇

【天智天皇】

第38代天皇:668年2月20日(天智天皇7年1月3日)〜672年1月7日(天智天皇10年12月3日)

生年月日:626年(推古天皇34年)〜672年1月7日(天智天皇10年12月3日)

年齢:48歳

干支:丙戌年

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:天智天皇(テンヂテンノウ / テンジテンノウ)

   葛城(カツラギ / カヅラキ)

   中大兄皇子(ナカノオオエノオオジ / ナカノオオエノミコ)

​関連氏族:皇族

父:舒明天皇(ジョメイテンノウ)- 第34代天皇

母:皇極天皇(コウギョクテンノウ)- 第35代天皇 / 重祚:第37代・斉明天皇

妹:間人皇女(ハシヒトノヒメミコ)- 第36代・孝徳天皇皇后

弟:天武天皇(テンムテンノウ)- 第40代天皇
 

皇后:倭姫王(ヤマトヒメノオオキミ)

夫人:蘇我遠智娘(ソガノオチノイラツヒメ)

夫人:蘇我姪娘(ソガノメイノイラツメ)

夫人:蘇我造媛(ソガノミヤッコヒメ)

嬪:蘇我常陸娘(ソガノヒタチノイラツメ)

嬪:阿部橘娘(アベノタチバナノイラツメ)

夫人:越道君伊羅都売(コシノミチノイラツメ)
采女:伊賀宅子娘(イガノヤカコノイラツメ)

妃:鏡王娘(カガミノオオキミ)

宮人:忍海造色夫古娘(オシウミノシコブコノイラツメ)

宮人:栗隈黒媛娘(クリクマノクロヒメノイラツメ)

●舒明天皇の第2皇子。

●645年7月10日(皇極天皇4年6月12日)、中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。入鹿の父の蘇我蝦夷は翌日自害した。更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行なった。

●百済が660年に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子の扶余豊璋を送り返し、百済復興を図って663年に白村江の戦いを起こすも敗戦した。百済救援を指揮するために斉明天皇と共に筑紫の朝倉宮に滞在したが、661年8月24日(斉明天皇7年7月24日)斉明天皇が崩御した。

●斉明天皇崩御の翌年(662年)が天智天皇元年に相当する。中臣鎌足と共に大化の改新を行った事で知られる。


 


 

【皇后:倭姫王】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:倭姫王(ヤマトヒメノオオキミ)

関連氏族:皇族

父:古人大兄皇子(フルヒトノオオエノオオジ)

母:未詳

●天智天皇崩御後に倭姫王の即位または称制があったとする説もある。

【夫人:蘇我遠智娘】

生年月日:?〜649年(大化5年)

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:蘇我遠智娘(ソガノオチノイラツヒメ)

   蘇我越智娘(ソガノオチノイラツヒメ)

   美濃津子娘(ミノツコノイラツメ)

   

​関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏、蘇我倉氏

父:蘇我倉山田石川麻呂(ソガノクラヤマダノイシカワマロ)

母:未詳

兄:蘇我興志(ソガノコゴシ)

兄:蘇我法師(ソガノホウシ)

兄:蘇我赤猪(ソガノアカイ)

妹:蘇我姪娘(ソガノメイノイラツメ)- 第38代・天智天皇妃

妹:蘇我乳娘(ソガノチノイラツメ)- 第36代・孝徳天皇妃

妹:未詳 - 蘇我日向妻

妹:未詳

妹:蘇我造媛(ソガノミヤツコヒメ)- 第38代・天智天皇妃

第1皇女:大田皇女(オオタノヒメミコ)- 第40代・天武天皇妃

第2皇女:持統天皇(ジトウテンノウ)- 第40代・天武天皇妃、第41代天皇

第2皇子:建皇子(タケルノミコ)- 夭逝

 

●649年(大化5年)、父の蘇我倉山田石川麻呂が謀反の密告をされて自害。

●この事件は夫である中大兄皇子の陰謀であるという説が有力である。

●享年は定かではないが、建皇子を産んで間もなく亡くなったとの説が多い。​

 

【夫人:蘇我姪娘】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:蘇我姪娘(ソガノメイノイラツメ)

 

関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏、蘇我倉氏

父:蘇我倉山田石川麻呂(ソガノクラヤマダノイシカワマロ)

母:未詳

兄:蘇我興志(ソガノコゴシ)

兄:蘇我法師(ソガノホウシ)

兄:蘇我赤猪(ソガノアカイ)

姉:蘇我遠智娘(ソガノオチノイラツヒメ)

妹:蘇我乳娘(ソガノチノイラツメ)- 第36代・孝徳天皇妃

妹:未詳 - 蘇我日向妻

妹:未詳

妹:蘇我造媛(ソガノミヤツコヒメ)- 第38代・天智天皇妃

第3皇女:御名部皇女(ミナベノヒメミコ)- 高市皇子妃

第4皇女:元明天皇(ゲンメイテンノウ)- 第43代天皇

 

●姉の死後は、自身の2人の娘とともに、姉の遺した2人の皇女も一緒に育てたといわれる。

●そのため、姉の子である鸕野讚良皇女(持統天皇)は、のちに、我が子草壁の妃に姪娘の娘の阿閇皇女(元明天皇)を、草壁の死後、片腕となった高市皇子の妃に御名部皇女を迎えた。

水谷千秋は、姪娘について、死去や墓に関する記録がないことに注目し、その理由を、壬申の乱において近江朝廷方として最後まで抵抗し、非業の死をとげたためではないかと推測している。

 

 

【夫人:蘇我造媛】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:蘇我造媛(ソガノミヤッコヒメ)

関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏、蘇我倉氏

父:蘇我倉山田石川麻呂(ソガノクラヤマダノイシカワマロ)

母:未詳

兄:蘇我興志(ソガノコゴシ)

兄:蘇我法師(ソガノホウシ)

兄:蘇我赤猪(ソガノアカイ)

姉:蘇我遠智娘(ソガノオチノイラツヒメ)- 第38代・天智天皇妃

姉:蘇我姪娘(ソガノメイノイラツメ)- 第38代・天智天皇妃

妹:蘇我乳娘(ソガノチノイラツメ)- 第36代・孝徳天皇妃

妹:未詳 - 蘇我日向妻

妹:未詳

●蘇我氏は、古墳時代から飛鳥時代(6世紀 - 7世紀前半)に勢力を持ち、代々大臣(おおおみ)を出していた有力豪族である。

●神功皇后の三韓征伐などで活躍した武内宿禰を祖としている。具体的な活動が記述されるのは6世紀中頃の蘇我稲目からで、それ以前に関してはよく分かっていないが、河内の石川(現在の大阪府の石川流域、詳細に南河内郡河南町一須賀あたりと特定される説もある)および葛城県(後の大和国高市郡)蘇我里(現在の奈良県橿原市曽我町あたり)を本拠としていた土着豪族であったとされる。

 

【嬪:蘇我常陸娘】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:蘇我常陸娘(ソガノヒタチノイラツメ)

 

関連氏族:皇族、蘇賀氏、蘇我氏、宗我氏、蘇我倉氏

父:蘇我赤兄(ソガノアカエ)

母:未詳

妹:蘇我大蕤娘(ソガノオオヌノイラツメ)- 第40代・天武天皇妃

皇女:山辺皇女(ヤマノベノミコ)- 大津皇子正妃

●蘇我氏は、古墳時代から飛鳥時代(6世紀 - 7世紀前半)に勢力を持ち、代々大臣を出していた有力豪族である。

●神功皇后の三韓征伐などで活躍した第8代・孝元天皇の流れを汲む武内宿禰を祖としている。

●具体的な活動が記述されるのは6世紀中頃の蘇我稲目からで、それ以前に関してはよく分かっていないが、河内の石川(現在の大阪府の石川流域、詳細に南河内郡河南町一須賀あたりと特定される説もある)および葛城県(後の大和国高市郡)蘇我里(現在の奈良県橿原市曽我町あたり)を本拠としていた土着豪族であったとされる。

【宮人:忍海造色夫古娘】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:忍海造色夫古娘(オシウミノミヤツコノシコブコノイラツメ)

 

関連氏族:皇族、忍海造、忍海氏

父:忍海造小竜(オシヌミノミヤツコノコタツ)

母:未詳

皇女:大江皇女(オオエノヒメミコ)- 第40代・天武天皇妃

第3皇子:川島皇子(カワシマノミコ)

第9皇女:泉皇女(イズミヒメミコ)- 11代目伊勢神宮斎宮

●忍海造氏は雑工品部忍海部の伴造で,一族に有力者は出ていない。

●小豪族出身の女官として天智の後宮に勤めた。

●出自について

①忍海氏(忍海造・忍海連)は開化天皇皇子の建豊波豆羅和気王(母・葛城国造鸇比売命)の後裔で、忍海部(飯豊青皇女の御名代部)の伴造。

②新羅から日本に人質として送られていた微叱許智伐旱が、神功皇后に虚言を呈して新羅に一時帰国することになり逃げた。

欺されたことに気づいた葛城襲津彦は、新羅の使者を殺し、新羅に至り踊輪津にやどり、草羅城(さわらのさし)を攻撃して帰国した。この時の捕虜が、高宮・忍海・佐廉・桑原という四邑に住んだ漢人らの始祖である、という。

●いずれにせよ葛城氏と関連する。

●開化天皇妃・葛城国造鸇比売命が新羅に関連している可能性も考えられる。

【嬪:阿部橘娘】

生年月日:?〜681年(天武天皇10年2月29日)

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:阿部橘娘(アベノタチバナノイラツメ)

 

関連氏族:皇族、阿倍氏、安倍氏

 

父:阿倍内麻呂(アベノウチノマロ)

母:未詳

皇女:明日香皇女(アスカノヒメミコ)- 忍壁皇子妃

皇女:新田部皇女(ニイタベノヒメミコ)- 第40代・天武天皇妃

●阿倍氏(のち安倍氏)は、孝元天皇の皇子大彦命を祖先とする皇別氏族である。

●飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出する。平安時代以後は「安倍」と称する。
●阿倍氏は多くの支族をもつ有力氏族であり、支族は分かれて地名を重ねて復姓とした。布勢氏(普勢氏)もその一つである。

【妃:鏡王女】

生年月日:未詳

年齢:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:鏡王女(カガミノオオキミ)

 

関連氏族:皇族、額田部

父:額田鏡王(ヌカタノカガミノオオキミ)

母:吹黄刀自(フフキノトジ)- 飛鳥時代の歌人

妹:額田部姫王(​ヌカタベノヒメミコ)- 第40代・天武天皇妃

●宣化天皇の子である火焔皇子の後裔。

●臣籍降下後の氏姓は威奈公。

●天智天皇の妃だったが、後に藤原鎌足の正妻となる。藤原不比等の生母。

倭姫王
天智天皇.jpg
蘇我遠智娘
蘇我姪娘
蘇我造媛
蘇我常陸娘
忍海造色夫古娘
阿部橘娘
鏡王女

【夫人:越道君伊羅都売】

生年月日:?〜681年(天武天皇10年2月29日)

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:越道君伊羅都売(コシノミチノイラツメ)

 

関連氏族:皇族、道氏

 

父:未詳

母:未詳

皇子:志貴皇子(シキノミコ)

 

●道氏は、孝元天皇の皇子大彦命を祖とし、阿倍氏の同系氏族。

●本拠地は加賀国石川郡味知郷(現在の石川県白山市鶴来町付近)とする説が有力である。姓は君あるいは公。
●『新撰姓氏録』「右京皇別」によると、「道公」は「大彦命孫彦屋主田心命之後也」とあり、かつての越国の国造であったと思われる。『日本書紀』巻第四孝元天皇7年2月の記事によると、阿倍臣・膳臣・阿閉臣・狭狭貴山君・筑紫国造・越国造・伊賀臣の始祖とされる。
●上記のことから、越道君伊羅都売の名前は「越国の道氏の若い子」という意味になる。

越道君伊羅都売
伊賀采女宅子娘​

【采女:伊賀宅子娘】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:伊賀宅子娘(イガノヤカコノイラツメ)

 

関連氏族:伊賀国造

父:未詳

母:未詳

第1皇子:弘文天皇(コウブンテンノウ)- 第39代天皇、初代太政大臣

皇子:阿閇皇子(アベノミコ)

皇女:阿雅皇女(アガノヒメミコ)

●伊賀国を支配した国造。
第11代・垂仁天皇の皇子・息速別命が病弱だったため皇位継承者から外され、伊賀国に宮室を造って住んだという。

●第19代・允恭天皇の御代に4世孫の須珍都斗王が阿保姓を与えられた。

【宮人:栗隈黒媛娘】

生年月日:未詳

干支:未詳

星座:未詳

時代:飛鳥時代

名前:栗隈黒媛娘(クリクマノクロヒメノイラツメ)

 

関連氏族:栗前氏、栗隈氏

父:栗隈徳万(クルクマノトクマロ)

母:未詳

皇女:水主皇女(ミヌシノヒメミコ)

●栗前連は山背国久世郡栗隈郷(現在の京都府宇治市大久保・広野付近)を本拠地とする氏。

●忍壁皇子の子・山前王の妻が栗前氏。

●天武天皇12年(683年)9月に連姓を賜っている。

栗隈首黒媛娘
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